第26回(誰がために城はある)の中で気賀で築城という話しがありましたが、
気賀城って聞いたことありますか?
私は聞いたことがないんですよね…
実際のところはどうなんでしょう?
気賀城ではなくてモデルとなった城があるのでしょうか?
ちょっと調べてみました
気賀にあった城は
気賀にあった城は堀川城といいます
堀川城(ほりかわじょう)は、静岡県浜松市北区細江町気賀(遠江国引佐郡)にあった日本の城。
奥浜名湖(細江湖)北岸に位置し、都田川河口の南側、満潮時には道が塞がる干潟の中にあったとされる。600mほど北に当時の主要街道である本坂通(姫街道)が通る。
城址は推定地とされ、都田川の流れも変わり河口の北側、田園のなかに首塚のみ残る。
Wikipediaより
干潮時には陸続きになるのですが、ぬかるんでいるため、馬でも進みにくく、満潮時には船を使わないと城へ行けませんでした。
そのため、外から非常に攻めにくい城だったのです
満潮時はまるで海に浮かんでいるように見えたそうです。
海に浮かぶ城…海に浮かぶ?
ふと頭に浮かんだのが、厳島神社!です
厳島神社は城ではありませんが、海の中に建てられ、満潮時は海に浸かり、干潮時は歩いて近づくことのできる神秘的な神社ですよね
そういえば、私も別のブログで書いていました
堀川城も残っていれば、珍しい城として人気がスポットになったりしたのではないでしょうか
残念…
堀川城の行く末
番組の中では、初めは築城に反対していた気賀の商人たちも、直虎が間に入ることで城をつくることを受け入れる方に傾いていきます
龍雲丸も最初は直虎に “あんたが城主をやるのかよ?” など暴言を吐いたりしますが、その言葉はそのままは気賀の商人からの総意となっていくのです
で、実際に堀川城が築城され、直虎が堀川城の城主になるのか?
そのことについてはこちらにまとめました↓
史実では、堀川城は後に、徳川勢の攻撃を受け、刃向かった人々は殺害され首を晒されたと云います…
また、似た名前の城で堀江城というのもありますが、こちらも浜名湖畔にある城で、大沢基胤が治めているお城
今川の配下の国衆であった大沢氏。今川が弱体化してから、駿河に進出してきた徳川勢とは敵対していましたが、堀川城が攻められ徳川勢の強さを目の当たりにして、最後は降参することになります
しのぶの一言
今川氏真が武田の攻略のため築城することになったという堀川城
商人の町として栄ますが、戦により崩壊してしまいます
気賀の民も多数巻き込まれてしまうという悲しい結末が待っているのです
もし残っていたら、間違いなく世界遺産だったのではないでしょうか?
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