桶狭間の戦いからエスケープした元康(家康)ってマジ天才!

元康と瀬名

©NHK

元康(德川家康)は19才の時に義元の命により、桶狭間の戦いに今川勢の一員として参加します。

先鋒として出陣し、先に大高城に入城してあとから来る本隊の到着を待っていました。

ところが途中で、大将である今川義元が敵に討ち取られたと知らせをうけます。

今川勢が圧倒に有利で負けるはずのない戦さのはずが、まさかの敗退

そこで元康はどう動いたのかー?

なんと、どさくさに紛れて自分の古巣である岡崎城帰っちゃった…

もとは岡崎城は元康の父広忠のものだったのですが、父の亡き後今川のものとなっていたのです。

桶狭間の戦いで今川が破れたため岡崎城はみんな逃げだしてしまいガラ空き状態。なので元康は戦わずして入城できたのです。

幼少から続いた長い人質生活からの突然の脱却!

からの城主への華麗なる転身〜!

今川家ではいつもはぼうっとしてて存在感薄い感じの元康さん。

まさかの展開に今川のみなさんも ”えっ!” となったことでしょう。



人質時代

信康(のちの徳川家康)は幼少の頃(幼少名は竹千代)から人質に出されました。

6才の時に今川へ人質に出されますが途中で織田の手に渡ってしまいます。そして2年ほど織田の人質としてすごします。

その後、今川織田で交渉が成立して竹千代は今川へ移り、8才から19才までは駿府で過ごしました。

人質といっても、今川家ではそれなりのよい待遇を受けたようです。

といっても物心ついたときから人質としての生活は辛いものだったでしょう。そんな生活が家康の忍耐強い性格を育てたのかもしれませんね。

大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」では信康三河のぼんやりなどと呼ばれていました。

始終ぼうっとしいて、人と交わるのは好まず一人で囲碁をしたり、雀を調教したりする変わり者ものでした。

変わってるけど、おとなしくて従順なのでまさか裏切るとは思われてなかったはず。

竹千代すずめ

©NHK

桶狭間の戦いとは?

以前から三河をめぐって小競合いを起こしていた今川織田。当時は圧倒的に今川のほうが勢力が強かったのです。

永禄3年(1560年)5月19日、この戦いがありました。

この戦いでは織田勢3千に対して今川勢は2万5千と、兵力に圧倒的の差がありました。

今川勢織田勢を潰しにかかるはずだったのです。

決戦当日、まず先鋒隊が織田勢の砦を落としました。そして、本隊が本拠地となる大高城に向けて進軍したのです。

義元が率いる大軍が桶狭間にさしかかった時に豪雨にみまわれます。そこで、しばし休息をとりました。

しかし、この動きを織田軍は察知していたのです。

その間に織田軍今川本隊に接近し、雨上がりに一気に奇襲をかけたのです。

体制の整ってない今川軍は切り崩されしましました。義元も槍を振って応戦しましたが、討ち取られてしまいます。

総大将の義元が討ちとられてしまったという知らせは、残る今川軍の戦意を一気に喪失させ、撤退を余儀なくされたのです。

桶狭間の戦いのあとはどうなるの?

信康が今川を裏切ったことで残してきた家族は窮地にたたされます。

妻の瀬名と二人の子どもたちは人質の交換としてギリギリのところで助かりますが、義理の父母は命を落としてしまいます。

信康は今川では家来同然でしたが、岡崎城を占拠し一国一城の主として今川から自立を図ります。

名前も德川家康とし、新しい戦国大名として躍進してくのです。

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