長篠の戦いと井伊の材木の関係とは?「直虎」

20171022yukirock

©NHK

武田信玄の没後はしばらく鳴りを潜めていた武田勢
しかし武田信玄の嫡男、勝頼が再び徳川領に侵攻を始めます。武田軍の勢いは強く、徳川方の城を次々と落としていきました

これに対し、徳川軍も反撃を開始します。徳川領である長篠城を包囲した武田軍に対して、家康は兵を挙げました



長篠の戦いとは

長篠の戦いは、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦。
wikipediaより

この戦いでは多数の鉄砲を使い、織田・徳川軍が武田軍を圧勝しました。これにより武田軍は勢いを失い、衰退の一途をたどります

材木が必要になったわけ

この戦いで家康信長から丸太を至急調えるよう要請をうけます
それは設楽ヶ原に馬防柵を設置するためだったのです

その話を浜松城にて小耳に挟んだ万千代はいち早く井伊に伝えます。直虎は領主の近藤に要請が行くように手を回し、近藤には討伐の手配を任せられる六左衛門を推挙しました

攻めてきた武田軍は、この馬防柵で引っかかり、馬から落ちたところを柵の後ろに控えていた徳川・織田の鉄砲隊に一斉に弾を浴びせられました。さらにその後ろには刀槍隊も控えいてトドメを刺すという形

井伊の材木事業

ryu7

©NHK

井伊の山には多数の杉の木を所有していました。この木をよからぬ人が勝手に切り売りさばいたことがあります
その人物とは龍雲丸とその仲間たち

その当時、隣の領地の領地だった近藤も同じ被害に遭い、井伊の者たちがやったのではないかと因縁を付けてきて口論になったりもしました

盗賊だった龍雲丸を捕まえますが、逃げられてしまいます。その後、直虎龍雲丸たちを見つけます。色々とすったもんだがありましたが、井伊で雇い入れたのです

その理由の1つは、討伐の技術をもっていたから。龍雲丸たちが井伊を去った後もその技術は残ったのです

しのぶの一言

当時、盗人であった龍雲丸らを雇い入れるなんて!
直虎に対して皆、非難ごうごうでした

でも、その技術は受け継がれ、今回の長篠の戦いで急に材木が必要になった際にそれが役にたったのです!

直虎龍雲丸達の持つ技術を井伊の者たちに伝えることを期待していましたが、まさかこんな事になるなんて思ってもみなかったでしょうね



シェアする

フォローする