第34回の最後で、西郷吉之助(鈴木亮平)のもとへ坂本龍馬(小栗旬)やってきます
そこで大政奉還の話になり、龍馬が絡んでいたことが明らかになります
武力倒幕を目指していた吉之助にとっては、徳川慶喜(松田翔太)が大政奉還を受け入れたことは想定外だったのです
吉之助と龍馬は討幕を巡り決裂してしまいます
その後、龍馬は何者かに暗殺されてしまいます
近江事件とは?
1867年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎が京都の近江屋にて襲撃を受けた事件
龍馬はそれまで定宿であった寺田屋にて一度急襲されたことがあるため、近江屋を利用するようになっていました
11月15日の夕刻に中岡が近江屋を訪れていました
中岡は軍鶏を買いに行くよう使いを出していて、それを待っていました
下で物音がしたので、声をかけましたが返答がありません
さらに物音がして、中岡は「ほたえな!(騒ぐな)」と言いったため、刺客に自分たちの居場所が気づかれてしまいます
刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に入ると、いきなり龍馬に斬りかかりました
龍馬は額を斬られ、その後、後頭部から背中、再び額を深く斬られました
刺客たちは、足速に全員立ち去りました
龍馬は刀を抜いて自分の額を写して見て、これは助からないと悟りました
一緒にいて重傷を負った中岡も2日後に死亡しました
坂本龍馬を暗殺した犯人としてあがっているのは?
坂本龍馬の暗殺については、犯人がいまだにわかっていません
事件当初は新選組が実行犯だと言われていました
維新後、見廻組の今井信郎が犯人として名乗り出たため、実行犯であることが有力となります
しかし確実な証拠はなく、今井の売名行為だという説もあり、いまだに真相は闇の中なのです
龍馬はその自由主義的な考え方をもっていたことから、内外に敵が多かったようです
そのため龍馬の暗殺を企てた可能性のある者は色々あるようです
新選組犯行説
事件当初は新選組が襲ったという説が有力視されていました
しかし、幕府から取調べを受けた新選組局長の近藤勇は関与を否定しています
京都見廻組説
1870年(明治3年)、見廻組隊士だった今井信郎が箱館戦争で降伏し、囚われます
近江屋事件の犯人について、新選組隊士らの供述で見廻組であったため、今井も取調べを受けます
その際今井は、坂本・中岡暗殺に関与したと自白し、裁判により禁固刑となりました
誰が見廻組へ指図したかについては、勝海舟は幕府上層部の指示であると推測しているようです
また、京都守護職・松平容保(会津藩主)の指示であったのではないかとの説もあるもよう
紀州藩士報復説
当時、龍馬が率いていた海援隊の蒸気船「いろは丸」と紀州藩の蒸気船「明光丸」が瀬戸内海で衝突し、いろは丸が沈没してしまうという事件がありました
その後、海援隊と紀州藩の間にで訴訟に発展し、その結果、海援隊側の勝訴となりました
そのことで龍馬は紀州藩士の恨みを買い、暗殺されたのでは?という見方もあるようです
薩摩藩陰謀説
西郷吉之助、大久保正助らを中心とする薩摩藩内の武力倒幕派による陰謀説もささやかれています
龍馬は諸侯会議による新政府の設立を説いており、大政奉還を受け入れた徳川慶喜をそこに含めることを想定していたのです
そのため、武力倒幕を目指していた西郷と、新体制への穏健な移行を説いていた坂本は対立することになります
龍馬の動きを見過ごせなくなり、わざとに幕府側に坂本の所在を漏らすなどして暗殺に関与したとする説もあります
外国陰謀説
武力倒幕により、薩長倒幕側に武器の売り込みを狙ったイギリス国側より仕組まれた陰謀であるとの説もあります
しのぶの一言
龍馬の死後、お龍が取り乱して吉之助に詰め寄るシーンが切なかったです
回を追うごとにカッコよくなっていく小栗旬の龍馬をもうちょっと見ていたかった…
大河ドラマ「龍馬伝」の時も、龍馬が暗殺される回は初めから泣きっぱなしだったことを思い出しました
わかっていてもあの龍馬が襲撃されるシーンは辛すぎて、まともに見れませんでした
そういえば、ソフトバンクの孫正義氏も「龍馬伝」にすごく肩入れしていてTwitter で盛り上がっていたのですよね
孫社長、「西郷どん」も見てるかな?
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