鹿児島と沖縄のあいだに浮かぶトカラ列島に属する宝島という島があります
1824年、この宝島にイギリス人が上陸し、薩摩藩の役人と争いになった事件がありました
なぜイギリス兵は宝島に上陸したのか?
初めは航海中の食料を調達するための上陸でした
太平洋を航海中だったイギリスの捕鯨船は宝島の近くに停泊しました
中から船員数人が降りてきて、島に上陸しました
そして、自分たちが持ってきた品と島の食料を交換してもらいたと身振り手振り伝えてきたのです
島の役人は野菜などの食料を彼らに渡して、彼らは船に引き上げていきました
ところが、船で待っていた大勢の船員たちはお肉!を待っていたのです!
イギリス兵となぜ争いになったの?
今度はイギリス船員たちは、武装して大勢でやって来ました!
そして、いきなり島の牛や住民に向けて発砲してきたのです!
放牧されている牛を撃ち殺して、お持ち帰りしようとしたのです!
先程の上陸で、この島にはろくに兵もおらず、武器もないことを察していました
沖の船からは大砲を撃ち込み、上陸の兵を援護して、たちまち宝島は戦場と化しました
イギリス兵との争いの結末は?
宝島側では鉄砲7挺しかなく野戦では勝ち目がなかったので、敵を引き寄せてから打ち取る作戦にでます
藩役人7名に流人の本田助之丞が加わって、役所の木戸口に、敵の来襲を待ち受けました
そして敵を間近に引き寄せ、初弾をもって首領を射殺!
放牧中の牛を射ち殺したり、略奪しようとやりたい放題に暴れていたイギリス船員たちはこれを見て慌ててました
そそくさと島から引き上げ、船で逃げ帰っていきました
その後の影響は?
宝島事件をがひとつの要因となり、幕府はその翌年には外国船打払令を制定しました
しのぶの一言
イギリス人はこの時、日本のことも薩摩のこともよくわかっていなかったから初めからナメてたのでしょうね
人数でも武器でも自分たちのほうが勝ってるし大丈夫だと思ったのでしょう
薩摩の武士がどれほど勇敢で強いかということを全然わかっていなかったもよう
それにしても、突然やってきて、様子見して、発砲するなんて卑怯過ぎる!
そんなんで、いきなりステーキを食べれると思っちょっとか?
薩摩をナメんなよ!的な事件でした
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