孝蔵(森山未來)が円喬(松尾スズキ)から旅に出るように言われた本当の理由「いだてん」

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©NHK

第15回以降のネタバレが含まれます。まだ知りたくない方は読まないでください!

円喬「朝太くん、旅にでも出てみるかい?」

突然、師匠の円喬(松尾スズキ)から旅立つことを勧められる三遊亭朝太こと孝蔵(森山未來)

旅といっても、要はドサまわりで、しかも知らない師匠について地方回るのだといいます。

はじめは、孝蔵は自分は破門されたのだと勘違いしますが、席亭の話しによると、そうではないようです。

席亭とは
寄席の経営者

席亭によれば、偏屈で滅多に人を褒めないという円喬は、孝蔵のことは買っているのだというのです。

そう言えば、孝蔵は師匠から「おまえさんにはフラがある」と言われたことがありました。



孝蔵と円喬との関係

孝蔵はたまたま逃げ込んだ寄席で、橘家円喬の落語を初めて聴き、その芸に圧倒されます。そして、弟子入りすることを決意するのです。

そして孝蔵が車屋のバイトをしていると、円喬を車に乗せるというチャンスがやってきます。

孝蔵は、円喬を車から降ろす時に弟子にして欲しいと土下座して頼みました

すると、円喬はあっさりとOKしてくれたのです。

円喬「じゃあ、明日も浅草から人形町まで頼む」

それから、孝蔵は来る日も来る日も円喬を車に乗せて運びました。

でも、弟子なのか車屋の客としてなのかよくわからない日々が続きました。

円喬の教え

円喬は車の上で、落語の稽古をすることがありました。孝蔵が聞き耳を立てていると、円喬はこう言うのです。

円喬「耳で覚えてもダメよ、噺はね、脚で覚えるんだ。お前さん、何のために毎日、日本橋と浅草、行ったり来たりしてんだい」

孝蔵には何のことなのかわかりませんでしたが、やがて落語の中の人物の気持ちを本当に理解するには、実際に歩くこと助けになるのではないかと気づきます。

孝蔵は師匠を車に乗せて走りながら、師匠から必死に吸収しようとしました。

半年くらいして、三遊亭朝太という高座名をもらい。演芸場の中にも入れてもらえるようになりました。

しかし、円喬は相変わらず孝蔵に稽古はつけてくれませんでした。

初高座にあがるが

しばらくすると、孝蔵は初高座に上がることが決っていました。

孝蔵は慌てます。

孝蔵「まだ、小咄(こばなし)の一つも教わっていなのに」

円喬「できるよ。君には何かがあるから」

孝蔵は初高座は「富久」に決めたのですが、どうも調子がでません。

「富久」の噺では、出てくる男が日本橋へ浅草へと走り回ることを思い出します。そこで夜、誰も乗っていない車をひいて落語の「富久」の稽古をします。

孝蔵「どけどけどけ火事だ火事だ!邪魔だ邪魔だーっ!」

だんだんと調子がでてきました。

「いだてん」では、ビートたけしが演じる古今亭志ん生(ここんていしんしょう)、松尾スズキが橘家...

そして、初高座の日を迎えました。遅れてやってきた孝蔵は、なんと酒に酔っていました。

緊張のあまり、ついお酒に手をだしてしまったのです。

それでも高座にあがり、つっかえながら噺を始め、次第に調子を出していきます。が、途中で息が切れ、勝手に高座を降りてしまいました。

遅刻して、酒に酔って高座に上がった挙句、途中退場という大失態!と思われましたが、

円喬からは小言一つ言われることもありませんでした。

その後は、高座で小咄などをやらせてもらえるようになりました。

しかし、稽古をつけてもらうことはなかったのです。

孝蔵の旅立ちの日

ある日、孝蔵は旅に行くように勧めらます。

孝蔵小円朝師匠について行くしかありませんでした。

円喬は日にいくつも寄席を回る掛け持つ売れっ子落語家なので、見送りに来てくれることはないと思っていました。

しかし、孝蔵が電車に乗ろうとしたとき、円喬は新橋駅に現れたのです。

駅まで走って走って、ヨレヨレになりながらもわざわざ孝蔵を見送りに来てくれたのです。

円喬は、孝蔵の新しい師匠になる小円朝に必死で訴えました。

円喬「小円朝さんよぉ。大事な弟子を貸すんだからなぁ。一回り大きくしてかえしてくれよなぁ。こいつは大化けするからな。フラがあるんだよ。フラが」

そして孝蔵には、餞別として高級たばこ「敷島」を投げつけました。

円喬「ちゃんと勉強するんだよ」

孝蔵は泣きました。

初めて見せた、師匠のぶっきらぼうだけど深い愛に、むせび泣きました。

(ここからはネタバレがありますのでご注意ください)

孝蔵が旅に行かされた本当の理由

孝蔵は新橋駅で別れたあと、ドサまわりを続けます。

しかし、円喬と会える日はやってきませんでした。

孝蔵を旅に送り出してしばらくして、円喬は亡くなったのです。あの新橋での別れが今生の別れでした。

そういえば、円喬は前から変な咳をしていました。その頃から肺を患っていたようです。

そして、自分が長く生きられないこともわかっていたのではないでしょうか。

だから、孝蔵小円朝に預けたのです。自分がいなくなっても、一人前の落語家としてやっていけるように、手放したのだと思います。

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