前畑がんばれ!水泳女子のエース!上白石萌音(かみしらいしもか)が登場!いだてん(韋駄天)

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©NHK

「前畑がんばれ!」

というフレーズをどこかで聞いたことがありませんか?

1936年オリンピックの決勝で、実況していた川西三省(かわにしさんせい)アナウンサーが発した言葉として有名です。

興奮のあまり、「前畑ガンバレ!」を20回以上も連呼し、その叫びに日本中が沸き立ったのだといいます。

そして、このとき前畑秀子さんは、日本人女性としては初めて金メダルを獲得したのです。

「いだてん」前畑秀子さんを演じるのは、上白石萌音(かみしらいしもか)さんです。

上白石萌音は少し前にも水泳選手役を演じたばかり。

2019年の1月〜3月に日本テレビで放送された「3年A組-今から皆さんは、人質です-」では、水泳部のエースの景山澪奈(かげやま れいな)役を演じています。

◎こちらもとても面白いドラマなので、まだ見てない方はぜひ見てみてください。

また、川西三省(かわにしさんせい)アナウンサートータス松本さんが演じます。

こちらもとても楽しみです!



前畑秀子(まえはたひでこ)

1914年(大正3年)に和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)で豆腐屋を営む家に生まれる。

近くの紀ノ川で泳ぎを覚え、尋常小学校5年生のとき女子50m平泳ぎで学童新記録を出す。

高等小学校2年生のとき汎太平洋女子オリンピックに出場し100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝する。

高等小学校を卒業後、家業の豆腐屋を手伝う予定だった。

しかし、前畑の水泳の能力を高く評価する椙山氏らのすすめで名古屋の椙山女学校(現・椙山女学園)に編入し、水泳を続ける。

椙山は前畑のために寮を提供し、また学園内に新しいプールを作るなど支援した。

しかし1931年(昭和6年)1月に母が脳溢血で、6月には父も脳溢血で亡くなり相次いで両親を失う。

一時は学校をやめ家業を継ぐことも考えたが、椙山校長らに引き止められ、学校に戻り水泳を続ける。

1932年ロサンゼルスオリンピックでは200m平泳ぎ銀メダルを獲得。

大会後は引退を考えていた。

ところが、祝賀会に駆けつけた東京市長の永田秀次郎前畑にこう言った。

「なぜ君は金メダルを取らなかったのか。0.1秒差ではないか。無念でたまらない」

他にも次期大会で雪辱を果たすべきだと言う声が多くあったのだ。

当時は20歳を過ぎてスポーツを続ける選手は少なく、ベルリン大会まで競技を続けると22歳となり婚期を逃してしまう恐れもあった。

周囲の期待に押される形で、次のベルリン大会への出場を決意する。

次期オリンピックに出るからには、絶対に優勝しなければならないという重圧があった。

そのためには今まで以上の厳しい練習を積むことを自分に課した。

1年365日、1日も休まず、朝5時に起き、練習に打ち込んだ。

1日2万メートル泳ぐことを目標にし、25メートルプールを400回往復する練習を続けた。

温水プールのない時代、寒い時期にも泳ぎ、体が凍えるとやかんで沸かした湯を頭からかぶり耐えたという話も残っている。

1933年(昭和8年)9月30日には200m平泳ぎの世界新記録を樹立

3年後の1936年(昭和11年)、ベルリンオリンピック200m平泳ぎに出場する。

地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で勝利した。

日本人女性として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。

その後、前畑は1937年(昭和12年)に名古屋医科大学助手の兵藤正彦氏と結婚をした。

引退後は、椙山女学園職員として後進の育成に努め、ママさん水泳教室を開くなど、一般への水泳の普及にも大きく貢献した。

上白石萌歌(かみしらいし もか)さんプロフィール

2000年生まれ、鹿児島県出身

2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディシンでグランプリを受賞し芸能界入りする。姉は女優・歌手の上白石萌音(かみしらいし もね)さん。

主な出演作

ドラマ:「義母と娘のブルース」「3年A組一今から皆さんは、人質ですー」

映画:「羊と鋼の森」、「未来のミライ」(声の出演)など

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