初めはオリンピックに行きたくないと言っていた金栗四三(中村勘九郎)ですが、嘉納先生(役所広司)の熱い説得を受け、一転してオリンピック出る意志を固めます。その時の嘉納先生のお言葉はコチラです。
嘉納治五郎先生のお言葉
何事も最初は辛い。自信もなかろう。しかし、誰かがその任務を追わなければ、革新の時は来ない。スポーツもしかり。ここで誰かが捨て石になり、礎とならなければ次の機会は4年後にしかやってこないのだ。金栗くん、日本のスポーツ界のために黎明の鐘となってくれたまえ。君しかおらんのだよ。
尊敬する嘉納先生にこんな風に言われたら、受けるしかないですよね。
黎明とは?
1 夜明け。明け方。
2 新しい事柄が始まろうとすること。また、その時。「民主主義の黎明」
ここで、黎明の鐘を鳴らすとは、オリンピックに初出場することを指すと考えられます。
ところで、なぜ四三はオリンピック出場を拒んだのでしょうか?
金栗四三がオリンピック出場を拒んだ理由
四三がオリンピック出場を拒んだの、オリンピックとは何か知らなかったからです。
たまたま走るのが得意な四三が、学校のマラソン大会に出場したら3位で入賞。そこで部活に入って練習に励み、こんどは全国区の大会に出場したら、ぶっちぎりで優勝。
でも四三は、それはオリンピックが予選会だったということは知りませんでした。
嘉納先生からオリンピックというものを説明されますが、日本を背負って世界の強豪と戦うなんて無理!負けたら切腹ですか?とビビりまくります。
オリンピックとは?
フランス大使、ジュラール氏の説明によれば、オリンピックとは、世界中の若者が一同に集まり、共通のルールで純粋に技を競い合うというスポーツと平和の祭典です。
なぜ日本に参加が要請されたのか?
オリンピックを白人だけのお祭りから世界規模の平和の祭典にしたい。アジア諸国を代表して、日本に参加をしてもらいたい。なぜなら、当時の日本は日清戦争、日露戦争で大国に勝利し、世界の注目を集めていたからです。
なぜ嘉納治五郎が要請を受けたのか?
近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタン男爵が、オリンピック参加のために日本を動かせる人物だれなのか?ライトマン(適任者)を探してほしいとの要望がありました。
そこで、スポーツによる教育改革に熱心な人物である嘉納治五郎に白羽の矢が立ったのです。
政府はそっぽを向くけど諦めない
嘉納先生はオリンピックの理念に深く共感します。そこで、国費でオリンピック参加することを文部省と日本体育会に持ちかけますが断られてしまいます。横浜正金銀行にも融資を願い出ますが却下されます。
それでも諦めきれない嘉納先生は、自宅を抵当に入れ借金を重ね、新しい団体「大日本体育協会」を設立してしまいました。
選手が辞退でもライトマンがキメる
オリンピックに出場選手は、マラソン大会で世界新記録をだした金栗四三と短距離で強い三島弥彦(生田斗真)の二人に絞られました。
ところが本人たちはオリンピック出場を拒否します。
2位、3位の選手にも声をかけようかという案もありましたが、嘉納先生はそれを一蹴します。
そして嘉納先生は再度、熱い言葉で四三を説き、弥彦の闘争心を煽ることでみごと2人をオリンピック出場を決意させたのです。
しのぶの一言
何事も初めてというのは大変ですね。目先の利益にとらわれるのではなく、日本の未来を見据えて熱い心で物事を推し進める嘉納治五郎。
そして、不安にかられながらも未知の世界に飛び込び、黎明の金を鳴らしてくれた金栗四三と三島弥彦。
こういう人たちがいてくれたから、オリンピックを感動しながら楽しめる今があるのですね。感謝しかないです。
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