大柿城の戦い!大垣城じゃなかった?「麒麟がくる」

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「麒麟がくる」第6回で、大柿城の戦いが出てきました。

大垣城ではなく大柿城とだったのでちょっとしたびっくり!字が間違っているのでは?と思ったけどそうじゃなかった。

江戸時代前は大垣ではなく、大柿と表記をしていたようです。

大垣城(大柿城)は、岐阜県大垣市にあった平城で、現在も外観修復された天守閣などが残っているので今でも見ることができます。

関ヶ原の戦いの際は西軍の石田三成が本拠地としたことでも有名です。



大垣城(大柿城)の歴史

大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたとされる。

天文13年(1544)に織田信秀によって落城したが、まもなく斎藤道三の支配下になり、やがて美濃に進攻した織田信長が手中におさめた。

豊臣秀吉がその地を治めるようになると、池田恒興が城主となり、その後は次々と城主が代わる。

1586年(天正13年)の天正地震で城は全壊焼失したが、後に改築される。

天正18年(1590年)の小田原征伐で功を挙げたことから伊藤盛景が城主となり、その後は子の伊藤盛宗があとを継いだ。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際には、城主・伊藤盛宗が西軍に属したため、石田三成らが入城して西軍の根拠地となる。

大垣城に向かう徳川家康に、禅僧が大きな柿を献上すると、「大柿(大垣)が既に手に入った」と喜んだという逸話が残っています。

江戸時代は、戸田家が代々城主となり、明治時代まで続きました。

昭和20年(1945)7月戦災で焼失しましたが、昭和34年(1959)4月に再建。

全国的にも珍しい 4層4階の天守を持ち、大垣のシンボルとなっています。

大垣城見学情報

JR大垣駅から歩いて行けます。

天守閣まで登ると関ヶ原も見ることができます。下層部は博物館になっています。

気になる方は訪れてみてはいかがでしょうか?

所在地

大垣市郭町2丁目52番地

鉄道利用の場合

JR大垣駅南口から徒歩7分

自動車などの利用の場合

名神高速道路大垣インターチェンジから15分
駐車場なし

開館時間

9時から17時(入館は16時30分まで)
休館日は火曜日

◎入館料は一般 200円です

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