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天下人家康
2023年10月23日放送
・秀吉亡き後、世は乱れる。
・豊臣家中をまとめられず苦境に立たされる三成。
十人衆
秀吉亡き後の政は、5人の奉行と有力大名5人で行われることになった。
大名: 前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、徳川家康
三成「殿下のご遺言、しかと実行することがわれらの使命。われら十人衆が一つとなって物事を進めるこそ、なにより肝要。」
家康を始め、他の大名も同意する。会議の後、家康は三成の労をねぎらう。
家康がいなくなると、毛利や上杉が三成に、徳川殿は狸と心得ておくがよいとささやく。最大の領地を有し、絶大な力を持つ家康は、他の大名から警戒されていた。
慶長3年11月、朝鮮からの撤退が開始される。
帰還した加藤清正ら武将たちを迎えた三成は、不用意な発言で皆の怒りを買ってしまう。
武将たちは、三成への不満を前田利家と家康にぶつける。2人は武将たちをなだめつつ牽制する。
利家「治部らへ任せたちのは殿下のご遺志。軽挙妄動することあらば、この前田利家が許さん。」
寧々は三成に、一同に詫びを入れるように助言が突っぱねられてしまう。
寧々は三成が上手くできないのなら、力のある者にやってもらうしかないと家康の方を見る。
徳川家中も皆が家康が天下を獲ること望んでいた。
正信だけは、今は目立って危険を冒さないほうがいいと主張する。
政信「どのみち豊臣の天下は、ぼろぼろと崩れてゆくでしょう。」
三成失脚へ
年が明けた慶長4(1599)年、秀吉の遺言により、秀頼は大阪城へ居を移した。
秀頼につきそって入城した茶々は三成に、家康は平気で嘘をつく人物だとささやく。
そんなある日、とんでもないうわさが三成の耳に入ってくる。
家康が、伊達政宗、福島正則、蜂須賀家政との縁組を進めているというのだ。
5奉行と家康を除く4人の大老を呼び集められ、審議が行われる。事実なら、勝手に婚姻を結ぶことを禁じた秀吉の*置目を破ることになる。
※置目とは、中世末期また近世の為政者、武将あるいは惣(そう)などのつくった規定や法律の類。 掟。
家康を敵対視している大名たちは、天下簒奪の野心ありと騒ぎ立てる。
三成は家康に謹慎を申し渡すことを決める。家康のもとに、糾問使が差し向けられる。
家康はほんの行き違いだと平謝り。
正信もあくまでも奉行衆を助けるためにやったことだと言い添える。
さらに、家康を処罰すれば、血の気の多い徳川家中が黙っていないだろうと脅しをかける。
家康は三成を自分の屋敷に呼び、自分の浅慮をわびる。
そして政が進まない今の状況を変えるため、一時的に自分が政権を預かりたいと申し出ると三成は不快感をあらわにする。
家康は病床の利家を訪ね、相談する。
利家「皆、貴公が怖いのよ」
今川義元のもとで育ち、織田信長、武田信玄、秀吉とも渡りあって来た家康は、多くのものにとってオロチ(大蛇)と同じ存在なのだと。
ひと月後、利家はこの世を去る。
その後、事件が起きる。三成に不満を持った武将たちが三成襲撃を企てる。
三成が潜んでいる伏見城は加藤、福島らの軍勢が取り囲まれる。
家康は加藤らを屋敷へ招き、言い分を聞きなだめる。
その後、三成はすべての政務から身を引き、所領である近江佐和山に隠居することになる。
家康は伏見城に入り、主座から皆に号令をかけた。
家康「天下の太平を乱す者あらば、この徳川家康が放っておかぬと心得られよ。」
感想
やっぱり合議制は失敗に終わる。秀吉もうまくいくわけがないと言ってたけど、その通りになりましたな。
家康も特殊メイクで老け、すっかり狸爺になっていたのでびっくり。もう終わりが近いということですね。
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