「鎌倉殿の13人」に関係するかもしれない戦(いくさ)についてまとめていきます。
平安時代から鎌倉時代にかけての戦は、初めは天皇家や摂関家の争いから始まり、平氏と源氏も共に戦っていました。
平氏と源氏の合戦の後、同族内での争いもあり、かなり複雑な権力争いが続きました。
保元の乱(ほうげんのらん)
1156年7月
崇徳上皇と後白河天皇との対立に藤原摂関家も加わり争いになる。源氏、平氏ともに一族が両勢力に分かれて参戦し、源頼朝の父・義朝が献策した夜討ちを採用した後白河天皇方が勝利した。
平治の乱(へいじのらん)
1159年12月
保元の乱後、後白河上皇のもとで政治の実権を握った信西に対して不満を募らせた藤原信頼が、源頼朝の父・義朝を結んでクーデターを決行し、信西を自害に追い込む。
しかし、平清盛の策謀によって形勢は逆転。賊軍として追討を受けた信頼は捕らえられて斬首、義朝は逃亡先で騙し討ちにあい殺害される。義朝の嫡男・頼朝は流罪となる。
鹿ヶ谷の陰謀
1177年
後白河法皇らが平清盛の追討を企てるが失敗。後白河法皇は幽閉されてしまう。
以仁王の挙兵
1180年5月
後白河法星の子、似仁王(もちひとおう)が源頼と平家打倒のたこめ立ち上かるが、敗北。
源頼朝挙兵
1180年8月
源願朝、北条時政・義時父子と伊豆の目代・山木兼隆を襲撃。
石橋山の戦い
1180年8月
源頼朝が大庭景親、伊東祐親らに敗れる。北条宗時が戦死。
富士川の戦い
1180年10月
甲斐源氏が平氏に勝利。
水鳥が羽ばたく音に恐れをなした平氏軍が敵前逃亡した事が敗北の原因。
倶利伽羅峠の戦い
1183年5月
木曾義仲の奇襲により平氏が敗北。
宇治川の戦い
1184年1月
入京した木曾義仲、鎌倉から派遣された源義経らに討ち取られる。
まだまだ続きます・・・
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