西郷隆盛が”せごどん”と呼ばれたのはなぜ?どんな人物だったの?

2018sakurajima1

©NHK

2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」

西郷どんとは、あの西郷隆盛のことです

西郷隆盛ってどういう人なのか覚えていますか?日本の歴史の教科書には載っているし、大河ドラマの幕末物には必ず登場するお方です

大きくてギョロ目でちょっと怖そうな感じの方、でしたよね〜

…でも、実際のところは私自身もよく知らない部分もあり。なのでちゃんと調べてみました



西郷(せご)どん、とは?

「西郷どん」は「西郷様」「西郷さん」という敬意と親しみを込めた呼び方です。「どん」は「殿」の意味の方言です

さいごうどんではなく、せごどんなのは、鹿児島弁の発音だとそうなるからのようです

西郷隆盛(さいごうたかもり)とはどんな人?

西郷隆盛は明治維新の立役者一人です。江戸幕府から新しい政府へ移行するのに力を尽くしました

300年近く続いた江戸時代は、ずっと鎖国を続け外国との関係を断っていましたが、諸外国から開国を迫られるようになります。幕府はのらりくらりと交わしてきましたが、イライラした諸外国は今度は各藩に働きかけてくるようになり、またそこで小競合いが勃発したりもしていました。

軍艦に向かって大砲を打ち込んだり〜。外国人をいきなり斬りつけたり!Oh,No!

国内でも尊皇攘夷派、開国派などにも別れ大混乱に。下手をすれば、諸外国に攻撃されたりされかれない危機的な状況です!

でもね、昔の日本にはちゃんと賢人たちがいました。藩をこえて交渉を重ね、その危機を乗り越えて、新しい政府へと平和的に移行に成功したのです。その偉業を成し遂げた一人が西郷なのです

完全に無血というわけではなく、その後も問題がくすぶることはありましたが、それでも諸外国がつけ入るスキを与えませんでした

近隣のアジアでは西洋の植民地にされている国も多いことを考えると、これはスゴいことです!

西郷隆盛の生い立ち

西郷はもとは薩摩の下級武士藩士・西郷吉兵衛長男です。幼名は小吉、通称は吉之助(きちのすけ)といいました

西郷はかねてから尊敬の念をいだいていた藩主・島津斉彬の目にとまり抜擢をうけて斉彬の江戸へ同行を許されます。役目は「お庭方」というものですが、これは諸藩の動向を探るものだでした。身分こそ低いものの、斉彬の手足となって働き、教えを受けているうちにその考え方に強く影響を強く受けることになります

諸外国から開国を迫られ、また将軍の跡継ぎ問題でも揺れていた幕府は弱体化しつつありました。その中で斉彬は新しい構想を持ち、発言力もあり、実現に向けて動いていました。ところが、この斉彬が急死してしまい、西郷も失脚します

その後、西郷は二度の島流しの刑に処せられます。しかし時代のうねりは大きく、京や江戸のことにも精通し、各方面の重要人物とも面識のある西郷の帰郷に対する声が高まり、西郷は再び薩摩に戻されます

そして禁門の変で活躍、薩長同盟王政復古などを成功に大きく貢献し、戊辰戦争(旧幕府軍と新政府の戦い)を指揮。そして、江戸城の無血開城を実現させました

明治維新後も新政府から請われて政権に関わることになりますが、朝鮮との国交回復問題で意見が対立して離脱。その後は鹿児島に帰り、私学校を設立して教育に専念していました

その頃、各地では新政府に不満をもった士族の反乱が各地で起きていました。やがてその不満分子たちが西郷の元にも集まるようになり、ついには暴動が起きてしまいます

もはや、その勢いは西郷にも止めるとこはできず、部下たちの擁立されて西南戦争(新政府と不平士族との戦い)へと突入。最後は官軍に破れ、最後は自刃に倒れました

しのぶの一言

西郷どんは、犬が大好きだったそうです。たしかに上野の西郷さんは犬を連れていますよね。そして2018年も戌年というのは偶然なのでしょうか?

新政府の樹立に寄与したのに、その新政府に牙をむき、最後を賊として追い詰められ果ててしまう西郷どんの最後を思うと切なくなります

人望が厚く、人気の高かったという西郷どんの駆け抜けた人生を2018年の大河ドラマで1年かけてじっくりと見届けたいと思います!

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