戦場での部隊識別のために、刀や槍、甲冑から旗印にいたるまで赤く仕立てた軍勢のことをさします
赤備えは、戦場でも特に目立つため、武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊であることが多く、武勇の誉れの象徴として語り継がれました
井伊直政(万千代)もまた、赤備えを率いた武将として活躍した一人です
井伊の赤備え
井伊直政(万千代)は武田家滅亡後、家康の命により赤備えを支えた山県隊の旧臣達を配下に受け入れました。そして、武田の赤備えにあやかって自分の部隊も赤備えとして編成したのです
井伊の赤備えは小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられました。以後幕末に至るまで井伊家が治めた彦根藩の軍装は、足軽まで赤備えをもって基本とされていました
赤備えを率いた他の武将は?
赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌です。のちに「甲山の猛虎」と呼ばれます
元々朱色は侍の中でも多くの首を上げた者にのみ大名から賜るものだったそうです。そこで、自領は父からは譲られず自らの槍働きで稼ぐしかない各武将の次男たちを朱色で統一した赤備えの部隊に組織化、現代風にいえば切り込み隊として組織しされました
虎昌の部隊は彼の弟(甥とも)とされる山県昌景が引継ぎ、同時に赤備えも継承しました。虎昌・昌景のとも武田軍の中心的な存在として活躍しました
2016年大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田信繁(幸村)もまた赤備えを編成した武将です。信繁が敗色濃厚な大坂城に入ったのは、恩賞や家名回復ではなく、徳川家康に一矢報いて、真田の武名を天下に示すことだったと言われています
赤備えで編成した真田隊は天王寺口の戦いで家康本陣を攻撃し、本陣突き崩しを成し遂げ、”真田日本一の兵 古よりの物語にもこれなき由”と「薩藩旧記雑録」(島津家)に賞賛されるほどの活躍を見せたのです
赤備えのメリット・デメリット
メリットは赤は気持ちを高める色であるということで、赤い武具を身につけることで兵士の士気が高まったと考えられます
デメリットは目立つこと。戦場では標的になる可能性大ということです。故に武力によほどの自信のあるものでなければ赤備えなどを進んでしようとは思わなかったでしょう
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