於大の方(栗原小巻)から人柱という言葉が出てきた理由

20170910komaki

©NHK

第45回では、家康の嫡男・信康に対して織田信長から謀反の疑いがあるということで殺害命令がでます。

家康は悩みます。信康を斬りたくはないし、だからと言って信長に逆らうことはできません

そんな時、母親である於大の方は、信康をお斬りなさいと家康の背中を押します

家を守るためなら、己、親兄弟、この生命すら人柱として絶たねばならぬ

そんな恐ろしい言葉がでてくるのには色々と訳があるのです

人柱(ひとばしら)

難工事完成を祈って神にいけにえとして生きた人を水や土に沈めること。そのいけにえの人。転じて、ある目的のために犠牲になること。その人

今回の人柱とは、信康が罪がないにも関わらず、家の為に命をおとすことを意味します



於大の方と家康の関係

家康は幼少の頃から今川から人質となっていましたから、生母の於大の方とはと離れ離れとなっていました

家康が岡崎城に戻ってからは、於大の方を呼び戻しています

於大の方は家康に対してそれなりの発言権を持っているようです

また、正妻の瀬名についてはあまり良く思っていないようにです。そして自分の侍女を家康に紹介して側室にしたりしています

於大の方も戦後の世に翻弄されて生きてきた

於大の方は家康の父・松平広忠に嫁ぎ、家康を産みました。

於大の方の兄・水野信元は父親の死後、今川家と絶縁して織田に仕えるようになります。松平家の主君は今川なので、敵対関係になってしまうため、於大の方は離縁されて実家に戻されてしまいます

その後、於大の方は、知多郡阿古居城の城主・久松利勝と再婚し、3男3女を儲けます。
桶狭間の戦いの後、今川の元を去り織田と同盟を結んだ家康は、俊勝と3人の息子に松平の姓を与え家臣とし、於大の方を母として迎えました

ところが、於大の方の兄・水野信元に対して、織田信長から武田と通じているという疑いがかけられるのです。信長の命により家康信元を斬ったのでした

於大の方はこの経験から、武家というものは家を守るためならば、誰かが犠牲になることも致し方ないことと考えるようになったのでしょう

しのぶの一言

現代でも人柱という言葉は残っています。例えば仕事などで新しいプロジェクトとを立ち上げた時に、その責任者などが人柱になるなどという表現をする事があります。人柱となった責任者はプロジェクトが上手く行かなければ、その責任を取って辞任または左遷させられるようなこともある場合はあります

また、ネットスラングで、リスクがあるにも関わらず、最新の製品などを自ら進んで購入してテストする人のことを人柱と言うこともあります

でも、命まで取られるようなことは絶対にありません!

そう考えると、戦国時代って本当に恐ろしい。そんな戦国の世を終りに導いた徳川家康は偉大ですね!



シェアする

フォローする