第47回で、武田が滅亡した後、織田信長の家臣が武功を挙げた武将の恩賞について述べるシーンがありますが、その中で穴山信君(あなやまのぶただ)という名が出てきたのを覚えていますか?
甲斐は信長の家臣、河尻秀隆へ下されたのですが、穴山信君殿知行分のみは安堵されると言及されていました
なぜか安堵されたのかと言うと、穴山は武田方から徳川に下った武将だからなのです
その穴山は、第49回では家康とともに信長から安土城に招かれていました
ところが本能寺の変が勃発したため、家康とともに京を脱出し、ともに伊賀越えで山道を避難するわけなのですが、そこで何かが待ち受けていたのです…
穴山 信君(あなやまのぶただ)とはどんな人?
穴山信君(あなやまのぶただ)は穴山梅雪(あなやまばいせつ)という名でも知られています。
※ちなみにネットではアナ雪という愛称で呼ばれてたりします
穴山家は代々武田家に仕え、しかも重要なポジションにいました。穴山信君は信玄に仕えていましたが、信玄が亡くなり勝頼が当主となってから若い勝頼とはソリが合わなかったようです
勝頼から距離を置くようになり、やがて武田の敵対していた信長に接近して、内通するようになります
信長は甲斐侵略時の信君の働きを評価していました
しかし、信長は本能寺の変により亡くなってしまいます
武田を裏切り、織田の家臣となった信君は頼るものがいなくなり、非常に厳しい立場に追いやられることになります
穴山信君(梅雪)役はだれ?
今回穴山信君(梅雪)役は田中要次さんでした。たった一回の出演となってしまいましたが、それなりにインパクトを残してくれました
伊賀越えで何があったのか?
家康と一緒に安土城に呼ばれていた信君は、上方脱出する際に家康と伊賀越えに同行します
しかし道中、信君は家康と別れ、別のルートを行くことにしました
これが明暗をはっきりと分けてしまします
信君は残念ながらこの道中で命を落としてしまうのです…
「おんな城主直虎」では穴山どの行く末はどのように描かれるのか?
前回の大河ドラマ「真田丸」でも伊賀越えのシーンがありました
家康は内野聖陽さん、穴山信君は榎木孝明が演じていました
確か、腰痛がひどくて家康一行についていけなくなった信君は、途中で別れて武者狩りにあい殺害されてることに…
そして「おんな城主直虎」では斜め上を行く新しい解釈というか猿芝居が繰り広げられました〜(笑)
堺に滞在していた、家康と穴山は信長から京に呼ばれます。京へ向かう道中、京から逃げてきたという商人がに遭遇します。(実は、それは直虎が家康を引き止めるために行かせた龍雲丸なのですが)
そこへ常慶が、信長が明智光秀に討たれたということを知らせにやってくるのです。
家康たちは、”やはり”という反応をしてしまうのですが、それは穴山には不自然に写ったようで、”明智に討たれたことを始めから知っていたのでは?”という疑いの目を向けられてしまうのです
そこで慌てた家康は、急遽猿芝居を打ち、ここで死ぬとまで言い出します。家康軍団もすぐ呼応します!
そして、信長の仇をとるにはまず三河に帰って武装しなくては!と家康を止めて、伊賀越えの道をいそぎます
まあ、穴山がいなければ、そんな猿芝居をしなくてもよかったのですが。道中も穴山がいるために何にかと面倒で。そんなことをノブが察して、どうやら穴山を山道で亡き者にしてしまったようです…(落ち武者狩りにやられたということにして)
家康は伊賀越えを3日で終え、三河に帰ってきたときは、まだ世が織田方かあるいはほかの武将かどこへつくのかハッキリしない状況でした。すぐに上方に行くのは得策ではないということになります
そのとき、もし何か責められた場合は、穴山領に加勢に行っていたということにしようとノブが提案します。穴山はとっくに亡くなっているのですが、こんな状況なのでだれも確かめようもないということを計算してのことなのでしょう…(怖)
しのぶの一言
穴山信君は山梨県の嫌いな歴史人物ベスト3に入るなんて書いてあるのをどこかで見て、なんだかちょっと可哀想になりました
戦国時代ってホント厳しい時代だと言わざるを得ない事件です
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