「西郷どん(せごどん)」郷中(ごじゅう)とは?二才(にせ)とは

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©NHK

2018大河ドラマ「西郷どん」は最初は薩摩が舞台です。そこで、郷中(ごじゅう)、二才(にせ)という言葉が出てきました

初めて聞く言葉ですが、いったいどういう意味なのでしょうか?

調べてみました!



郷中(ごじゅう)とは?

方限(ほうぎり)と呼ばれる区割りを単位とする自治組織のこと。今でいうと自治体のようなもの。幕末の鶴丸城下には約30の郷中があったといわれています。

鶴丸城とは、

鹿児島城山麓に築かれた江戸時代の鹿児島城の別名である。鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている

郷中教育

薩摩の男の子は年少になると、郷中で先輩たちから教育をうけます。これは自主的に作られた青少年教育のしくみです

先輩は後輩を指導し、同輩はお互いに助けあうといった「学びつつ教え、教えつつ学ぶ」という教育スタイルです

しかし当たりはずれもあり、よい指導者がいないところでは、ただの乱暴者の集団に化してしまうこともあったのだとか…

ニ才(にせ)とは?

ニ才(にせ)とは、薩摩で若者の意味

そして、6歳から14歳くらいまでの少年は稚児(ちご)と言いました

郷中制度では、6歳から10歳前後までを「小稚児(こちご)」、15歳前後までを「長稚児(おせちご)」、妻帯時までを「二才(にせ)」、妻帯した者を「長老(おせんし)」と呼びました

郷中教育の実際は?

稚児と呼ばれる武士の子どもたちは、毎日早朝、郷中内の先生の家へ行って本読みを習います

朝食後は、馬場と呼ばれる広場や神社の境内などに集って、馬追いや降参言わせ、相撲、旗とりなどの山坂達者によって身体を鍛えます。

午後は、先輩や先生の家に集まり読み書きの復習をし、その後、稽古場へ行き夕方まで、剣(示現流)、槍、弓、馬術など、武芸の稽古を行います

長稚児たちは、夕方から二才たちが集まっている家に行って、郷中の掟を復唱したり自分たちの生活を反省したりします。武士の子としてよくない行いがあれば二才たちから注意を受け、場合によっては厳しい罰を受けることもありました

武士の子どもたちは、一日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え、躾・武芸を身につけ、勉学に勤しんだのです。

年長者は年少者を指導すること、年少者は年長者を尊敬すること、負けるな、うそをつくな、弱い者をいじめるなということなどを、人として生きていくために最も必要なこととして教えました

二才同志は、互いに戒めあい、修身の道に各々自重するとともに、二才頭を中心にして互いに熟議し、郷中に起る一切の問題を処理しました。

二才たちの手でどうしても処理しかねる時には、長老を訪ねて適宜指導を仰ぎました

このように、郷中教育は、集団のなかでおこなわれ、教師のいない、異年齢によって行われた自治的な教育であったことを特徴でした

しのぶの一言

薩摩では武士が多かったものの、立派な藩校をいくつもつくるには財政的には難しいため、このような形になったようです

子どもたちはお互い教え合い、また郷中感でも競い合い、切磋琢磨していたというわけです

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