幕末に出てくる攘夷(じょうい)尊王攘夷(そんのうじょうい)という言葉
わかっているようで、今ひとつよくわかっていなかったので調べてみました
調べていくうちに、この攘夷、尊王攘夷という言葉には、その意味や思想を超えて変化して時代を動かしたことがわかり…ちょっと震えています
外敵(がいてき)を撃ちはらうこと
幕末だと外国人のことをさします
尊王攘夷(そんのうじょうい)とは
尊王(そんのう)とは王を尊ぶという事で、日本の場合は王とは天皇を意味します
幕末においては江戸幕府よりも、朝廷を重んじると言う思想となります
尊王攘夷という言葉はどこからでてきたのか?
尊王攘夷という言葉は、江戸中期ごろ、水戸藩で形成された水戸学において使われるようになりました
尊王とは、天皇と幕府が主従関係を堅持するように、幕府と諸藩との主従関係も堅持されるべきというもの
攘夷とは、鎖国体制維持のためのもので、幕藩体制を後押しするような意味合いであり、幕府を批判するような内容ではありませんでした
しかし、時代の流れとともにその解釈が変わり、幕末の志士たちによって倒幕運動の合言葉として使われるようになっていったのです
幕末に攘夷(じょうい)、尊皇攘夷(そんのうじょうい)という思想が台頭してきたわけ
ペリーが黒船でやって来て日本に開国を迫ったことが引き金となりました
300年近く続いた江戸時代は鎖国していましたから、外国との接触はありません
そこへ、大砲を備えた黒くて大きな船がやってきて、脅しをかけてきたのです
乗っているのは日本人とは似ても似つかぬ欧米人です
言葉も通じません
しかも、一方的な要求をしてきました
そんな外国人とは関わりたくないし、日本に入れたくないと思ってしまうのが普通ですよね
しかし、開国しなければ、アメリカ側は攻撃も辞さない構えなのです
はっきりと武力の差は目に見えていますから、幕府は仕方なく開国に応じざるを得ず、しぶしぶ開国しました
すると、国内では幕府は弱腰だと批判する人がでてきたのです
また、日米修好通商条約を締結した際に朝廷の許しを得なかったということも非難のタネとなりました
安政の大獄
井伊直弼が幕府の実権を握るようになると、幕府に意を唱える人々を弾圧します
世に言う、安政の大獄です
ここで大勢の人々が処分されました
このことは当然、恨みを買うことに…
そして皮肉にも、尊王攘夷運動を加速させてしまう事になっていくのです…
尊王攘夷→朝廷を頂点とする世へ
開国後、外国とトラブルになり、藩と外国とで戦闘になる事もありました
そこで武力の差を見せつけられました
なので、攘夷論というのは当然しぼんでいくと思いきや
今度は、幕府を倒して朝廷を頂点とする新しい政府を作ろうとする考えが広まり、そして過激になっていきました
尊王攘夷運動は、いつしか幕府支持派vs朝廷支持派への闘争へとなっていったのです
しのぶの一言
尊王攘夷ということばが、時代のながれとともに変化していったことを説明するために、幕末の流れもかいつまんで書きましたが、かなり省略していることをご了承ください
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