吉之助の江戸での初仕事は、薩摩藩邸での庭掃除でしたー!
まあ、門限やぶりの罰としての掃除だったのですが
来る日も来る日も、庭や便所や倉庫のお掃除…
せっかく殿から直々に声をかけてもらい、みんなにお金をかき集めてもらい意気揚々と江戸までやって来たのに、掃除だなんて(絶句)
さすがの吉之助にも心が折れそうになっていた頃、今度は斉彬さまの暮らす御座所の庭方役を命じられます
お庭方とは
お庭方とは、表向きには薩摩屋敷の庭の手入れや掃除などをする役です
でも、吉之助に期待されたのはそのような仕事ではありません
殿のすぐ近くに仕え、政治について語らうこともあれば、殿の命を受け他藩との交流・情報収集などもし、時には「密事」を命ぜられることもあり
まさに殿の「目」「耳」となって働く立場だったのです
なぜお庭方という役をつくったのか?
当時、身分の低い藩士が、藩主や家老といった身分の高い人物に拝謁するには、面倒な手続きが必要だったのです
そのころは厳格な身分制度があり、通常ならば吉之助のような下級藩士が、おいそれと身分の高い人々と簡単に話せることはできませんでした
なので、庭先で偶然会ってたまたま直接話をするという建前が必要だったのです
そのために、庭方役というものを作ったようです
殿が用事のある時、縁側に出てきたら直ぐに傍に行けるように庭方役を待機させました
また、斉彬は吉之助にこのように言っています
「雨の日も、雪の日も、いつ何時もここにおること。そして、わしの手となり足となること。それがそなたの、お庭方の勤めじゃ」
つまり、通常ならば目通りがかなわない身分の吉之助をそばに置くために作られたられた特別な役職だったのです
吉之助がお庭方に任命された理由とは?
吉之助は薩摩で郡方書役助というお役目につき、農政にかかわっていました
そこで、農民の貧しさ、年貢の重さ、政治の矛盾、役人の不正、身分差別の不条理さなどを知ります
吉之助はその窮状をなんとかしたくて、意見書を書き斉彬に送リ続けました
子供の頃、自分に ”死んではならない” と説いてくれた斉彬ならきっとわかってくれる。そういう思いからでした
一方、江戸にいて薩摩の状況がわからない斉彬にとってはこれは貴重な情報でした
吉之助は自分の目となり耳となり、生の情報を知らせてくれのですから
文は人を表すと言います
会って話すことはなかったけれど、吉之助の書く手紙には斉彬の心を打つものがあったのでしょう
吉之助の真面目でまっすぐな気性、民を思う気持ち、薩摩の現状を良くしたいと純粋に思う心情が斉彬を動かしたのに違いありません
後に、斉彬さまは吉之助をなぜ側に置いたのかということについて、こう言っています
「お前は民のために、己の命を捨てられる男だからだ」
民を救う国を作りたい!
斉彬は一心にそのことを目指していたのです
そして吉之助ならきっとその思いをわかってくれる、力を尽くしてくれるに違いないと期待していたのです
しのぶの一言
御前相撲もまた斉彬が吉之助のことを知るキッカケになりました
斉彬自身も飛び入り参加して取り組み、あろうことか吉之助は斉彬さまを投げ飛ばしてしまいます!
その豪胆なところも斉彬は大いに気に入ってくれたようです☆
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