西郷どんの最終回(第47回)をご覧になって、どのような感想をもちましたか?
私は「西郷どん」を見る前までは、どうして西南戦争が起こったのか、今ひとつ理解できていませんでした。
「西郷どん」を最後まで見て、色々なことがようやく腑に落ちました。
ドラマと史実とは少し違うようですが、「西郷どん」の中では西郷たちがどういう経緯で戦さに至り、どんな思いだったのかということは理解することができました。
そして、その感動が今も残っています。
この感動が薄れてしまう前に、「西郷どん」の中では、西南戦争がどのように描かれたのかということをまとめておきたいと思います。
なぜなら、最後に西郷(鈴木亮平)たちが放ったキラメキが印象的だったので、残しておきたいと強く思ったからです。
どうして西郷たちは西南戦争へ突入したのか?
その前に、新政府の中枢にいた西郷隆盛がなぜ薩摩に戻ってきたのかということにふれておきます。
西郷が東京から鹿児島へ戻ってきた理由
西郷が鹿児島へ戻ることになったのは、大久保(瑛太)との政争で負けたからです。
外遊から戻った大久保は、西欧に負けない国づくりを進めなくてはと強く思い、それを推し進めようとしていました。
しかし、大久保の強引なやり方に反発を招き、大久保は政府から一時追放されてしまいます。
しばらくして、大久保は政府を自分の手に取り戻すべく反撃を開始します。
大久保は当時、政府のトップにいた西郷を追い出すことを画策します。
大久保は西郷が進めていた朝鮮派遣計画を潰しにかかったのです。
ここで大久保と西郷は激しく言い争いになります。
結局、西郷は論争に負け、政府を去り、鹿児島に戻りました。
鹿児島で西郷は何をしていたのか?
鹿児島に戻った西郷は、畑を耕したり、温泉に行ったり、家族と穏やかに暮らしていました。
西郷は政府のことは大久保に任せて、自分は静かに暮らしていくつもりでした。
でも人気者の西郷のまわりにはドンドン人が集まってきてしまいます。
東京で働いていた鹿児島出身の士族たちも、西郷を慕い鹿児島に大勢戻ってきました。
西郷は困り顔でしたが、どうすることもできません。
心配なのは、鹿児島には士族たちには十分な仕事がなかったことです。
西郷、私学校をつくる
明治以降の武士階級の呼び名
明治時代に入り、廃藩置県が実施され、そして士族の特権は廃止されていきます。
当然、士族たちから反発が起こり、全国各地で士族による暴動が起こっていました。
鹿児島は特に士族が多かったので、暴発すれば大変なことになります。
西郷もそのことを心配し、考えた末に士族のための学校を作りました。
学ぶ場所、働く場所を作ることで士族たちが前を向いて生きていけるように考えてのことだったのです。
大久保は士族たちが暴発しないかを見張るため、密偵をこの学校にしのばせて、状況を報告させたりしていました。
生徒たちは、密偵がいることを察し、捕まえて拷問にかけます。密偵をしていた中原は「ボウズヲシサツセヨ」と書いた書きつけを持っていました。
ボウズとは西郷のこと。
西郷を刺殺せよ!ということだと思った生徒たちは憤り、薩摩に駐在していた政府軍を襲います。
騒ぎを聞きつけた西郷が駆けつけますが、後の祭りです。
政府軍を襲った生徒たちは重い処罰を受けることになるでしょう。
西郷は生徒たちを見殺しにすることができずに、皆で東京に向かい、政府に意見することを決めました。
このときは、戦をするつもりはなく政府に陳情するだけの予定だったのです。
もちろん、戦になることも覚悟していました。
政府軍との戦いに
西郷たちは東京まで行くつもりが、熊本で政府軍から攻撃をうけます。
そのころは通信が発達していたため、西郷軍が武装して上京したことは、すぐに政府に伝わっていました。
大久保は動揺しますが、西郷軍討伐に向けてすぐに動きます。
西郷軍は政府軍相手に善戦しますが、圧倒的な兵力をもつ政府軍に次第に押され、ジリジリと退却していきました。
戦況は悪くても、西郷軍は、みんな明るく楽しそうでした。
”西郷軍ははつらつと戦いました”
ナレーションの西田敏行さんはこんな表現をしたのです。
負け戦なのに、なぜか悲壮感はありませんでした。
最終的には、残った西郷軍はみんなで山道を故郷の鹿児島へ向かいました。
西郷の思い
最後に、西郷たちは故郷の鹿児島の城山にこもりました。
西郷はそこで、この戦への思いを語ります。
「こん国から戦さをなくすためにもおいは死なんとならんのじゃ。」
「おいが死ねば日本国中の士族たちがようやく別の生き方をみつけようとすっじゃろう。」
「おいの死とともに新しか日本が生まれっとじゃ」
…泣ける
西南戦争とはなんであったのか?
菊次郎は西南戦争に父、隆盛とともに参戦しましたが、途中負傷して投降し、その後も生き延びました。
最終回の冒頭で、後に京都知事に就任した菊次郎(西田敏之)が父、隆盛のことを振り返りこう述べています。
「新しい時代が、大きなうねりとなって押し寄せてきた時、どうしてもその波に乗りきれない人がいるものです。」
「父、西郷隆盛は、あの大きな体で、熱い心でご維新から取り残されたサムライたちを抱きしめ、飲み込み、連れ去りました」
この言葉に西郷隆盛という人物、そして西南戦争がなんであったのかということが集約されているように思えます。
この言葉と最後の西郷たちの姿を思い浮かべると、もう涙が止まらなくなり…。
しのぶの一言
かつて西郷は、島津斉彬から侍が重い刀を差して踏ん反る日は終わると聞かされました。
そして、その日は本当にやってきたのです。
だからといって、すんなりとそれを受け入れることのできない人だっているのですよね。
士族たちのプライド、怒り、悲しみを収めるには、もう戦って死ぬことしかなかったのかもしれません。
そんな時代にとりのこされかけた人々を、西郷はけして見捨てなかった。
西郷隆盛という人は最後の最後まで弱きものに寄りそい、その一生を終えた、優しき英雄なのです。
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