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慶喜(松田翔太)は将軍後見職となり、政治の表舞台に出てくるようになりました
リーダーシップを発揮して、帝からの信頼も厚く、徳川の地位を盤石なものにすることには成功しているように見えます
しかし、急に笑いだしたり、言動がおかしくなるようになりました
そのわけは、いったい….
慶喜が壊れたわけ
急に笑いだしたり、妙な行動をとるようになった慶喜
慶喜の言動が不自然になったのは、側近の平岡円四郎が暗殺されてからなのです
平岡は慶喜と間違えられて浪人たちに刺殺されたのです
しかも、その下手人は自分の出身地である水戸藩の浪人でした
慶喜は悲痛な叫び声をあげます
「もう、誰が敵で見方なのか検討もつかない!」
いくら頭のいい慶喜でも、精神的に不安定にならざるを得ないほどの出来事だったようです
慶喜と吉之助の関係
慶喜と吉之助の出会いを振り返ってみましょう
吉之助がヒー様こと慶喜と出会ったのは品川宿の「磯田屋」です
当時の薩摩藩主・島津斉彬の側近くに控えていた吉之助は、一橋慶喜がヒー様と同一人物であることを知り、驚きます
その後、吉之助は、斉彬から慶喜に次期将軍職を受けることを説得するように指示を受け、度々ヒー様に接触します
初めは吉之助のことをウザがっていた慶喜も次第に吉之助を受け入れるようになり、吉之助のことを牛男と呼ぶまでの仲になりました
慶喜は最初から徳川家を継ぎたくないと主張していました
しかし、慶喜は反対勢力の井伊直弼の家臣から命を狙われるようになります
ある時、吉之助が慶喜を守るために刺客を殺傷してしまうというアクシデントが起きます
慶喜は、このことがキッカケで井伊直弼に対抗するため将軍職を受ける決意をしました
しかし、その後安政の大獄が始まり、慶喜は謹慎、吉之助も島流しになり、政権からは遠ざけられていました
慶喜が暗殺されそうになった理由
なぜ、水戸の浪人たちは慶喜を暗殺しようとしたのでしょうか?
水戸は慶喜の出身地、兄が水戸藩主を務め、父も存命です
本来なら慶喜のことを応援してくれるはずです
それは、水戸藩はもともと攘夷の思想が強く、過激な尊王攘夷派も存在していたのです
開国したことが慶喜のせいだと思い込んだ水戸の攘夷派が事に及んだようです
今後の慶喜は?
亡き薩摩藩主・島津斉彬が将軍にと強く推していた慶喜
しかし、西郷などの日本の新しい体制づくりを考える者たちとの考え方の相違が顕著になり、やがて対立するようになるのです
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