家康が今川へ侵攻!岡崎城から掛川城までどう攻略するの?「直虎」

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©NHK

私は、城を落とすという意味をあまりよくわかってなくて…

大河ドラマで、家康武田信玄から掛川城を落とすようにと手紙をもらうのですが

家康は家臣たちと

もう、岡崎城から遠いのにー(ブツブツ)!”とか

”湖畔の城主の抵抗が強いから、陣座峠を通って行こう!”とか

言っているを見て、それってどういう事なの?

わざわざ井伊を通って行ったのはなぜ?

と色々疑問が湧いてきたので、

城攻めるとは、どういうことなのかを調べてみました!

いやー、ボンヤリとしかわかっていなかったことがわかり

スッキリしたので、ちょっとまとめてました



本城と支城!?

戦国時代の大名たちの本拠地となる城、それは本城になります

そして本城を守るための支城というものが作られていました

徳川家康の場合は、岡崎城が本城にあたります

今川氏康の本城は駿府館

武田信玄の本城は躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)

井伊谷城は、今川の配下ですから、今川から見れば支城となります

本城大名が住んでいる拠点となるのが普通なので、そう簡単に攻め込まれないようになっています

本城の攻めるには?

戦さとなった時、本城を攻め落とすためには、まず支城が攻め落とさなければなりません

なぜなら、支城を落とさずに本城を攻めようとすれば、支城から兵が出てきて攻撃されてしまう可能性があるからです

そんなわけで、戦国時代にはたくさんの支城が作られていたのです

※ただ、城を攻めるといっても、いつも戦って攻めるだけとは限りません

調略を使って、まずは交渉して城を明け渡してもらうことにトライします

交渉が上手くいかない、決裂したら、城攻めというのが多いようです

岡崎城から掛川城へ進軍

家康の本拠地は三河にある岡崎城

そこから掛川に行くのは、今川の領地である遠江を横断しなくてはなりません

掛川に向けてまっすぐ東へ進むと、まず浜名湖があります

浜名湖畔にはいくつか城があり、今川への忠義があつい領主が多かったのです

家康の侵攻に対して、激しく抵抗してきました

なので、徳川軍は掛川城へ進軍するのに浜名湖畔を避け、
陣座峠を通りました

陣座峠の先には井伊があり、すでに調略済みです

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戦国マップ_浜名湖周辺1

井伊でちょっとアクシデントとはありましたが

その後、井伊谷から家康掛川城を目指すことになるのです

しのぶの一言

江戸時代以後は一国一城の制度が導入され、一つの城を残して廃城となります

城は権力の象徴でもあり、居城でもあり、社交の場でもあり、色んな意味合いがあります

日本の戦国時代の城は、拠点であり、戦うための道具的な意味合いが強かったようです

かなりざっくりまとめてしまったのですが、だいたいこんな風に解釈すればいいのかなと思います

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