こちらは第47回以降のネタバレを含みます。まだ内容を知りたくない方は読まないでください!
長篠の戦いで武田は惨敗しましたが、武田勝頼はまだ健在です!
武田は勢いを失ってはいたものの領土は拡大を続けていて、徳川と武田の攻防はずっと続いていたのです
高天神城とは?
高天神(たかてんじん)というのは遠江支配の要となる城の名前です
高天神城は、もともとは今川配下の国主の小笠原氏が城代を努め、今川滅亡後は、徳川配下となりました
しかし、天正2年(1574年)に武田勝頼にこの城を奪われてしまいます。そして徳川はいまだ取り返すことができない状態になっていました
この高天神城は周りを断崖絶壁に囲まれていて、とにかく攻めづらい難攻不落の城として有名なところです
高天神の今までの攻め方
徳川は、高天神城を攻め始めてから約4年もの月日がたっていました
高天神城は容易には攻撃できない城だったので、兵糧攻めという手法でジワジワ攻めるしか方法がなかったようです
高天神城の周囲にいくつもの砦や付城を築き、兵糧攻めを続けていましたが、武田方は籠城をやめず、いかなる調略にもかからなかったのです
付城とは?
攻撃の拠点として敵城の近くに築いた城のこと
高天神水源を断つこと
高天神の水源を断てば、兵糧攻めを更に強化していくことができる!
家康の家臣たちの間でそういう案が持ちあがります
でも、その水源がわからないのです。しかも水の手はいくつもあり、すべてを絶たねば意味がないというのです
そんなとき、あることがきっかけで人足のなかに紛れてにいた武田からの間者を捕まえました
間者を捕まえたのは、万千代に呼ばれてきていた井伊の武士、中野直之と奥山六左衛門
万千代は間者から安堵高天神の水源を聞き出します
そうして、高天神城の水源を絶ち、兵糧攻めを加速させたことにより高天神城にいる武田勢の降伏へと導くことに成功しました
しのぶの一言
高天神(たかてんじん)名前からしてなんだかカッコいいですよね〜
高天神城は鶴翁山の地形を巧みに活かして作られていた名城
三方が断崖絶壁、一方が尾根続きという天然の要害であり、「高天神を制するものは遠州を制する」といわれていたそうです
城はもうありませんが、堀切・空堀などは残っていてます。山全体がハイキングコースになっていて、観光スポットとなっています。JR掛川からバスや車で15分くらいで行けるそうですよ!
いつか行ってみたいなぁ〜
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