1858年(安政5年)に日本とアメリカとの間で結ばれた条約で、新たに5港を開くことや外国人の住む地域を定めることが決められました
ただ、日本側に不利な項目もあったのです
日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)とは?
1854年(嘉永7)、日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は調印されました
日本は、下田・箱館両港へのアメリカ船寄港、薪水・食料などの補給、下田に領事をおくことなどを認めましたが、貿易はまだ認めてはいませんでした
日本はまだ開国とは程遠い状態でした
1858年(安政5年)、日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)に締結
公使(首都)・領事(開港場)の駐在、両国民の自由貿易、神奈川・長崎・箱館(はこだて)・新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市、内外貨幣の同種同量通用、関税率の協定、外人居留地の設定と遊歩区域、領事裁判権、アメリカ人の信教の自由などが規定されました
また日米修好通商条約は日本にとって不平等な条件で締結された条約といわれ、この問題が後々大きな問題に発展していくことになります
日米修好通商条約が不平等と言われている理由とは?
この条約は、下記の点については日本側に不利な条件で結ばれています
- アメリカの領事裁判権を認める
- 日本に関税自主権が無い
- 片務的最恵国待遇
- 領事裁判権とは?
領事裁判権とは?
領事裁判権というのは、「在日領事が、外国人の犯した罪に対してその裁判ができる」というもので居留民の事実上の治外法権です
治外法権とは、アメリカ人が日本で犯罪を犯しても日本では裁くことができないということ
つまり、アメリカ人は日本で犯罪を犯しても、日本で裁かれることはなくアメリカに帰されてから罪を償うのです
これでは、日本で大きな罪を犯しても、アメリカでは小さな刑罰で済んでしまうこともあります。また、被害者も賠償金など十分な補償を受けられないことあります
関税自主権とは?
関税自主権があるときは商品に対しての関税を掛けられるので、商品の価格を安定させることができます
しかし、日本は関税をかける権利をもってはいけないというのです
もし外国から安い商品が大量に日本に入ってきてしまうと商品によっては日本の生産者では太刀打ちできない場合が出てくる恐れがあります
そして実際、貿易がはじまると日本の経済は混乱に陥りました
生糸や農産物が外国へ大量に輸出されるようになり国内で品物が不足するようになったのです
逆に外国から機械で大量生産された値段の安い綿織物が大量に輸入され、国内の繊維産業は打撃を受けたのです
また銀が大量に輸出されたため幕府は銀の割合を減らして貨幣の質を落とし、それが物価の混乱を起こしました
ちなみに、ことあたりのことは大河ドラマ「花燃ゆ」の後半で出てきます
最恵国待遇とは?
最恵国待遇とは、外交関係において、お付き合いのある国の中で、もっとも恵まれた条件の関係を与えられることです。
日本が、例えば、アメリカ以外の国と、アメリカと結んだ条約よりも有利な条件で条約を結んだら、自動的にアメリカともその条約を結んだことになるなるという規定です
逆に、アメリカが、イギリスやフランスなど他国と有利な条約を結んでも、日本には、その恩恵は与えられないのです
不平等はいつ解消されたのか?
江戸幕府につづく明治政府は、この不利な条約改正するために交渉を重ねますが応じてもらえませんでした
すべての条約を平等にするのには、この条約を結んでから、50年以上の月日を要しました
明治時代の1894年に日米通商航海 条約が調印され、その条約が1899年7月17日に発効するまで、不平等な日米修好通商条約が残っていしまいました