今川義元が戦死してからは今川は弱体化していきます
1568年遂に武田が今川領に侵攻を始めます
西から徳川も駿河へ侵攻を開始!
今川の属国である井伊はどう動くのでしょうか?
その前に、今川と隣接との関係について見てみましょう
※ただし、第29回以降の内容のネタバレも含みますので、まだ知りたくない方は読まないでください
今川を取り巻く環境
1560年代ころ、中部地方には特に強い武将がひしめきあっていました
甲斐の武田、駿河の今川、関東には北条、越後には上杉
駿河、遠江を支配下していた今川は、隣国の武田や北条と争っていました
しかし義元の代になると、近隣諸国と甲相駿三国同盟を結び同盟関係になります
甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)とは、天文23年(1554年)に結ばれた、日本の戦国時代における和平協定のひとつである。甲相駿はそれぞれ甲斐・相模・駿河を指し、この時それぞれを治めていた武田信玄・北条氏康・今川義元の3者の合意によるもの。Wikipedia より
甲相駿三国同盟が結ばれた理由
武田、北条、今川それぞれ別に敵を抱えていたので、他の敵と戦っている時に隣接していた国に背後突かれると危うい!という状況にあったのです
そこでお互いに攻撃しないようにしようとうい約束を交わすことにしたのです
お互いの嫡男に同盟国の姫を迎えて血縁関係も結びました
この同盟を考えたのは今川の軍師、太原雪斎といわれています
大河ドラマでは佐野史郎さんが演じていましたね
甲相駿三国同盟が崩壊
ところが、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れると、この同盟関係も崩れだします
今川家を裏で支えていた寿桂尼の死後、武田軍は、遂に今川に侵攻してくるのです
井伊と今川の関係、そしてこれから
井伊は今川の傘下に入る前は、今川と敵対関係にありました
しかし戦さに敗れて今川の軍門に下ることになったのです
それからは、今川の圧政に苦しめられる日々は続きました
度重なる出兵を強いられ、一門の男子は多数亡くなりました
前の当主の直親、その父直満も謀反の罪を着せられて今川に殺害され
他にも無理難題を押しつけられることは数々…
今川に対する積年の恨みというものは根深いものがあったのは間違いありません
隙があれば、なんとか他の大名の傘下に入りたいと思うのは無理からぬことでしょう
今川が弱体化してきたことで、その機会がやってきたとも言えます
武田軍と徳川軍が今川を攻撃してきたということは
手をこまねいていれば、井伊は今川の配下の者として侵攻される可能性もありえます
そして、直虎は、友人で親戚のつながりもある瀬名のご主人である徳川家康の味方につくことを決断したのでした
しのぶの一言
今川支配からの決別、それはそう簡単にスッキリとはいかず、大変な犠牲を払うことになります
衝撃的な事件もこれから次々と起きることに
直虎はこの危機をどう乗り超えるのか?
辛いけど、目を背けないでしっかりと見なくては!
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