第10回の最後で斉彬さまは「篤姫は不幸になる」と言いました
それを聞いた吉之助は衝撃を受けます
篤姫が不幸になるとは、どういうことなのでしょうか?
武家の娘であれば政略結婚などで知らない相手と結婚させられることはよくあることです
薩摩藩主・斉彬が年頃の姫の於一(篤姫)を養女にしたいと申し出たときから、政略結婚に利用されることは薄々わかっていたことです
どうしてお篤は不幸になるのか
輿入れするのは徳川家
その時代では武士の頂点であるお家柄です
輿入れ先としてこれ以上に誉れ高いところはないでしょう
しかし、お相手は将軍・家定はという方は少々難がありました
もっぱらのウワサではうつけものであること、そして病弱なので、子どもを作ることは出来ないとも言われているのです
うつけもの
愚かな行動を行う者のこと
当時は、武家では結婚相手は親が決めるものでした
でも、できれば立派なで良き人のところへ嫁ぎたいものですよね
徳川将軍といえば、お家柄としては申し分ありませんが、頭がおかしい人とわかっていれば嫁に行くのは躊躇してしまいます…
子どもを作ることを初めから望まれていない結婚というのは、かなり異例です
そしてそのことは嫁入り前の篤姫には伏せられていたのです
世継ぎを生むことを望まれていないのに輿入れするワケとは?
政略結婚だとしても子どもができれば家のつながりも盤石となり、夫婦としても新しい絆が築けるかもしれません
しかし、家定と篤姫の結婚は初めから世継ぎを生むことが望まれていないのです
では、なぜ篤姫は輿入れさせられるのでしょうか?
それにはある篤姫にミッションが課せられていたからなのです
それは、
次の将軍に慶喜(よしのぶ)を推挙するように篤姫から家定に勧めよ!
というものでした
なぜ斉彬は篤姫を選んだのか?
斉彬は薩摩で相撲大会を開催したことがありました
その時、島津の姫たちを呼び観覧したことがあります
それは養女選びつまり家定さまの嫁選びも兼ねていたのではないかと思われます
篤姫は姫たちの中でもひときわ美しく、快活で明るく頼もしい女子でした
篤姫なら、この過酷な任務を遂行できるだけのバイタリティーはあるはずだと斉彬は感じたのではないでしょうか
篤姫の運命は?
篤姫が嫁いでから2年も立たないうちに夫の家定は亡くなりました
また続いて養父・斉彬も亡くなり、後ろ盾を失います
しかし篤姫は江戸に留まりました
その後出家し、天璋院と名のります
そして、若き14代将軍家茂の養母として、その妻和宮とともに江戸城の大奥をとりまとめます
また、戊辰戦争時には江戸城に迫る西郷隆盛ら新政府軍に働きかけ江戸城の無血開城に貢献しました
しのぶの一言
いわくつきの将軍・家定に嫁いだ篤姫ですが、夫婦は仲睦まじかったそうです
結婚はしてみなければわからないものです
世間からみれば、不幸に見えても、当人たちにとっては幸せな結婚生活だったのかもしれませんね
家定が早くに亡くなり、斉彬のミッションも果たすことはできませんでした
でも、篤姫が江戸の徳川家にいたということは維新を平和的に行うことに大きな力となったのです
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