品川宿の「磯田屋」の看板娘 およしは上お得様のヒー様こと一橋慶喜のお気に入りの女子でした
その頃、およしは”自分は身請け先が決まっている”と吉之助に話したことがありました
身請(みうけ)とは、
芸娼妓などの身の代金(前借り金)を支払い、約束の年季があけるまえに、稼業をやめさせることである。身請ののち、自分の妻、また妾にすることもある
磯田屋で、ヒー様がいつもおよしを側に置いている様子からすると、ヒー様が身請人ということで間違いはないでしょう
でも、当時はおよしはヒー様が一橋慶喜であるという事実を知りませんでした
一橋慶喜にはお芳という側室がいた!
史実によりますと、
お芳(およし、生没年不詳)は、江戸時代の女性で、15代将軍・徳川慶喜の妾。側室と表記される場合もある
出典元 wikipedia
お芳とおよしは同一人物なのか?
このお芳については、下記のように書かれています
お芳は、江戸の町火消・新門辰五郎の娘として生まれる。母は町田仁右衛門の娘・錦。その後、慶喜の妾となった。
父・辰五郎は芳が慶喜の妾となったことで元治元年(1864年)に禁裏御守衛総督に任じられた慶喜が京都へ上洛する際、
子分を率いて上洛して二条城の警備などを行った。
慶応4年1月6日(1868年)、慶喜と共に大坂城を脱出し、開陽丸に乗り込んで慶喜一行と共に江戸へ帰ったと記録されている。
明治維新以降、慶喜は新村信、中根幸以外の側室に暇を与えたとされ、慶喜に仕えることはなかった。
出典元 wikipedia
でも、これによるとおよしの名前は一致しますが、父親と母親は違います
「西郷どん」でのふきは、薩摩の農民の娘だったのですから…
でも、ドラマなのでなにも史実とぴったり合うわけではありませんよね
一橋慶喜(ヒー様)は謹慎になる前におよしに告白していた
第16回でヒー様こと一橋慶喜は安政の大獄の一連の騒動で謹慎処分となります
ヒー様はその前に一度、およしに一緒に逃げようという話しを持ちかけたりするのですが、気を取り直して逃げるのはやめます
そしておよしにこのような約束をしました
おれが生きていたら、きっと迎えに来る。それまで待っていてくれ
およしは慶喜のもとへ
第26話では吉之助はおよし(ふき)と京で再会します
その時は、およしは遊女ではなく武家の奥様という風情になっていました
そして、慶喜の身請けされてそばにいると言っていました
側女、妾という身分なのでしょう
慶喜(ヒー様)は謹慎も解けてからおよしとの約束を果たしました
ようやく一緒になれた慶喜とふき(およし)でしたが、一緒の暮らしが始まると、二人の関係はギクシャクしてきてしまいます
時代の流れに翻弄される慶喜とふき
将軍・家茂が亡くなると、慶喜が将軍職を引き継ぐことになりました
しかし、時代は倒幕へと動きだしていました
天子様への忠義を尽くし、徳川宗家を守り、家臣や民を守らなくてはならない、しかも薩長などの反対勢力も台頭してきている上に諸外国も開国せよ!という
そんな中で慶喜は舵をとらなければならなかったのです
ふきには慶喜のやっていることが理解できなくなり、反論することもありました
でも、慶喜には恩があり、自分が側についていなくてはならないと思っていたようです
鳥羽・伏見の戦いで負けて江戸に逃げ帰ったあと、ふきは慶喜と口論となります
そのことがもとで、ふきは慶喜のもとを去ることになりました
しのぶの一言
慶喜(松田翔太)とおよし(高梨臨)の美男美女っぷりはいいですね〜★
ちなみに大河ドラマ「徳川慶喜」にもおよしが出てきます
お芳は清水美沙が、父親役は堺正明、母親は大原麗子が演じていました
こちらのドラマもなかなか面白かったですよ!
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