次期将軍は慶喜へと話しが動きはじめました
しかし、反対勢力が黙っているわけがありません
この先もまた困難が待ち受けているもようです….
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第15回 2018年4月22日放送
ネタバレを含みます
まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう
井伊大老が出現!
井伊直弼の前で、一橋慶喜が将軍になる決意を表明した
これを受けて、西郷吉之助と橋本左内は急ぎ京都へ向かい、将軍継承に関する詔を賜るべく近衛忠煕と月照を通じて朝廷へ働きかけた
そして安政5年(1858)3月の終わりに、ついに孝明天皇から幕府に詔が下されることとなった
ただ、その写しによると「世子は、英傑・人望・年長の三件をそなえたものを選ぶべし」と記されているだけで、慶喜を世子とする旨は書かれていなかった
それでも「年長」という言葉が指すのは徳川慶福ではなく慶喜だろうと推測され、この詔が下されれば、幕府が次の将軍を慶喜と決めるのは必定と思われた
そのころ薩摩の島津斉彬は、異国と対峙できる強い国家をつくるため、自ら指揮して軍事訓練に励んでいた
一方、江戸城では急な病で家定が倒れてしまう
井伊直弼が家定の元へやってきて、近習を下がらせると、幕政を自分に任せる旨と、さらに次の将軍は慶福とする旨を家定に書き残してもらおうと画策した
しかし意識がもうろうとしている家定が筆を走らせたのは、2個の柿の絵だった
家定は井伊にこの紙を渡しながら、か細い声で篤姫に食べさせるようにと伝えた
この小声でのやりとりが次の間に控える近習に聞こえなかったとみた井伊は、すぐさま御簾の外に聞こえるように、いかにも家定から幕政を任せられたかのような言葉を発し、ひと芝居打った
そして同年4月23日、突如として井伊は大老に就任した
大老とは、将軍の補佐役として、必要に応じて臨時に老中の上に置かれた
幕府の最高職つまり、最高権力者のことである
老中の上に位置するが、日常的な幕政業務は免除され、ごく重要な政策決定のみに関与した
大老に就任できたのは、井伊家・酒井家・土井家・堀田家の四家に限られた
やがて井伊は、家定からすべての政務を任されたとして、アメリカとの日米修好通商条約も朝廷の勅許が得られないまま調印しようとした
井伊は、一刻の猶予もないため、ハリスの要求を受け入れて戦にならない道を第一に探ろうと考えたのだ
さらに、家定が決めたとして、次の将軍を慶福と定めることを宣言した
その後、大老就任の挨拶に大奥を訪ねた井伊から、家定が次の将軍を慶福にすると言ったと聞いた篤姫は、病気で苦しむ家定に井伊が無理強いしたのではないかと疑いの目を向ける
そこで篤姫は、家定の書状を持ってくるように井伊に言いつけた
それに対して井伊は、家定が自分に託したものなので、篤姫であってもそれは見せられないと拒んだ
形勢逆転の知らせは、京都にも届いた
月照によると、井伊の手の者が関白の九条尚忠に近づき詔(みことのり)の「年長」の2文字が消されてしまったため、これでは詔(みことのり)に背いたことにもならないとのことだった
吉之助、薩摩へ急行
万事休すとなった吉之助は、悔しさに震えながら、急ぎ薩摩へと向かった
ひたすら走る吉之助は、ボロボロの姿で鶴丸城の斉彬のもとへとたどり着いた
すでに知らせを受け取っていた斉彬は、吉之助の姿を見るや、自分の夢が破れたことを実感し、供もつけずに馬で駆けだした
斉彬は、この日をもって吉之助の庭方役を解いてしまう
その後、吉之助はボロボロの姿のまま西郷家へと戻った
打つ手がなくなり憔悴していた吉之助が、その夜、庭で斉彬から授かった短刀を眺めていると、そこに正助がやってきた
正助に役目解任の理由を聞かれた吉之助は、江戸や京都を駆けずりまわったのだが、斉彬から授かったこの刀で人まで殺めたにもかかわらず、なんの役にも立てなかったのだと告白し、万策尽きてしまったのだと悔しさをにじませた
すると正助は、吉之助にこう言った
正助「やっせんぽ。万策尽きたち?そげんもんは、やっせんぽの言い訳じやが」
正助は、たとえ失敗したとしても、吉之助がおめおめと引き下がる男ではないと信じていた。幼少期から、誰もが無理ということを吉之助だけはあきらめずにいた
翌朝、吉之助は家族とともに粗末な朝餉をとり、健気に生きる家族を見つめた
別の日に、郷中の子どもたちに相撲や武道の稽古をつけた吉之助は、何度もかかってくる子どもたちにあきらめない心を見た
吉之助、殿に挙兵を促す
熟考の末、吉之助は鶴丸城の斉彬のもとへ向かうと、斉彬に挙兵するよう願いでた
吉之助「天子様のお膝元に兵を出すのでございもす!まずは京にて馬揃えをし、薩摩の兵と殿の御姿を見ていただきもんそ!」
吉之助は、あらためて帝より詔を賜り、詔と兵とで幕府に改革を迫ればいいと提案したのだ
詔を掲げ、鍛えあげて今や日本となった薩摩の兵が帝の名のもとに立ち上がれば、間違いなく他藩の者たちも追随するはずだと、斉彬と吉之助は信じていた。
吉之助の献策を受けて、斉彬が戦にもならず、血も流さずに幕府を倒せる挙兵を決断すると、ふたりの心が重なり、吉之助の目から涙があふれる
斉彬は吉之助にすぐに京都へ戻るように命じ、道中で同志の諸藩に薩摩が挙兵することを伝えるよう言いつけた
さらに斉彬は、京都に着いたら近衛家を通じて帝にもその旨を伝えるよう吉之助に言づけ、すぐに飛びだそうとする吉之助を呼び止めて声をかけた
斉彬「西郷。今からお前は、わしになるのだ」
斉彬が挙兵を決意したころ、江戸では、大老の井伊が、朝廷の許可を得ないまま日米修好通商条約を結び、徳川慶福を次の将軍にすると正式に公表するなど、幕府を意のままに動かしはじめていた
篤姫のもとには、家定死去の知らせが、ひと月経ってからもたらされていた
家定は、一筆の書状も残さず、柿の絵だけを残して、34年の短い生涯を終えていた。
一方、再び京都へとやってきた吉之助は、鍵屋直助 が営む宿屋で、月照や橋本左内と密会をしていた。吉之助が両人に斉彬出陣の旨を伝えた
ところが、安政5年7月16日、突如として斉彬はこの世を去ってしまった…
しのぶの一言
今回は、希望を持って進んだと思ったらどん底に突き落とされ、そこからまた這い上がって立ち向かっていたはずなのにまたどん底へ、と乱高下が激しい回でした
髪も洋服もボロボロになり髭ぼうぼうで人相まで変わった吉之助、万策尽きたと意気消沈していた吉之助を励ます正助、完全に諦めモードに入っていた殿に挙兵を進言する吉之助など見どころがいっぱいでした
最後は京にて吉之助が生き生きと張り切っているところに、殿の死というなんとも辛い終り方で…
でも、しばらくはこの辛い状況が続くのがわかっているので、ほんとにもう…(泣)
ただ、吉之助がいつも仰ぎ見ていた殿がいなくなり、一人立ちを余儀なくされるわけなので、ここからが本番という気もしています
辛いけど、吉之助の躍進をしっかりと見届けたいと思います!
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