お金のない西郷家。そして、家長の吉兵衛(風間杜夫)はある決断をするのです
そのころ、島津斉彬(渡辺謙)もまた大きな決断をしていました
しかし、思わぬ事件がおき、それがもとで反対勢力の激しい反撃にあってしまいます…
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第3回2018年1月21日放送
ネタバレを含みます
まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう
西郷家のお金がない問題!
西郷家は四男の小兵衛が生まれて11人の大家族となり、暮らしはますます苦しくなっていた
そのうえ祖父・龍右衛門が、イヤな咳をして寝込みがちになった。そして三男の信吾までもが腹痛をおこしていた
しかし信吾を医者に診てもらうと龍右衛門の薬代が出せない。それほど西郷家の家計は逼迫していたのです
吉兵衛は、借金をするしかないと宣言し、家族一同を唖然とさせた。借金をするあてのない吉兵衛は、赤山に頼みこみ、豪商・板垣与三次を紹介してもらった
そして吉之助をともなって借金を頼みに向った。当初、吉兵衛の貧しい風体を眺めた板垣は借金の依頼を断った
しかし、吉之助は板垣の前に頭を下げて真摯に頼んだ。11人の大家族が日々に食べる飯にさえ事欠き、病人を医者に診せる金もないことなどを包み隠さず告白した
そして、借りた金は命に替えてでも返すことを約束すると、板垣は吉之助の正直さに感心したようで、100両の貸し付けを承諾してくれた
帰り道、吉兵衛と吉之助は100両をもらったかのような喜びようだったが、この後返済にはかなり苦しむことになるだ
借金は明治維新後まで西郷家にのしかかったと記録されている。暮らし向きは決して楽にはならなかった
帰り道、唐芋をたくさん抱えて逃げた少年が庄屋とその使用人たちに捕まっているのを見かけた
吉之助は止めに入った。その隙に少年は逃げた。そして、素早く腰の木刀を抜いて、見よう見まねの薬丸自顕流の構えで庄屋たちを打ち倒すと走り去っていった。
その少年は中村半次郎といい、城下士だった父が島流しにあったため、現在は物乞い同然の暮しらしを強いられているそうだ。吉之助は、おとな顔負けのみごとな太刀筋を見せた半次郎に関心を示す
西郷家では、板垣から借りたお金で買った白米を食べたおかげで信吾も病から回復し、家族全員が白米のおいしさに感動していた。
そんななか、吉之助は熊吉の実家のおイシ婆のもとへ米を届けることを父に提案した
真摯に働いていた熊吉は、西郷家に食料がないときは、実家から米や芋を持ってきてくれていた。吉之助は、そんな熊吉へ感謝の気持ちを表したいと思ったのだ
こうして吉之助と熊吉は、荷車に2俵の米俵を積んで熊吉の実家を訪ねた。おイシ婆は立派になった吉之助との再会に感激してくれた。その夜、吉之助と熊吉は熊吉の実家に泊めてもらった
翌朝、吉之助は、家財道具を抱えて山のほうへ歩いていく中村半次郎の一家を見かけた
半次郎たちは、薩摩で生きて行くのが難しいため、脱藩しようとしていたのだ。吉之助は半次郎たちの救済を約束し、いったん家に戻ることを促す
そして、おイシ婆に渡した米を少し半次郎一家に分けあたえ、米俵を積んできた荷車に家財道具と妹の貞を積み、吉之助は熊吉と荷車を引いてやった
吉之助は赤山に半次郎の田畑を高奉行に掛けあって安堵してやってほしいと願いでた
そして農民の身売りや逃散は薩摩藩の見過ごせない大ごとであり、それと同じく調所の軍役改による侍の貧窮ぶりも大問題だと、吉之助は指摘した。
お上からの少ない禄だけでは食べていけない侍は、刀を鍬に持ち替えて田畑を切り開かなければならないのだ。自分で耕した田畑まで取り上げられてしまっては生きていけるわけがないと吉之助は異議を唱えたのだ
そんな吉之助に同調した正助も、半次郎の父が藩の金を使いこんで処罰されたのは、すべて貧しさから起きた悲劇だと言及する
正助はこのままでは半次郎の父のような者があとを絶たないのではないがと顔を曇らせた
さらにふたりは、貧しくても必死に生きる半次郎の侍としての誇りを奪うようなやり方は薩摩の大損だと訴えた
心を打たれた赤山は、半次郎一家の救済を約束してくれた
吉之助はどんな家に生まれても、誰もがたらふく飯が食える世の中にしないといけないと考えていた
赤山はそんな吉之助の思いが、きっと斉彬に届くはずだと信じていた
そして斉彬が藩主になる日もそう遠くないだろうと、吉之助や正助、そばに控える糸に向けて話した
斉彬の決断が思わぬ方向に
その後、吉之助がつづった何通もの意見書は、赤山を通じて江戸へとどけられていた。それは斉彬の心を動かすのに充分だった
内容は、農民は食料不足が続き、重い年貢を納められずに娘を売りに出す者や田畑を捨てて逃散する者が増え、このままでは農民たちが根絶してしまうというものだった
斉彬は、当時の幕府における最大の権力者といわれた阿部正弘に才能を認められていた
阿部は江戸幕府開府以来、西国の外様大名たちを抑えてきた福山藩の藩主であり、27歳で老中首座に抜擢されていた
斉彬は、薩摩の琉球に関するあつかいや異国との密貿易について書かれた書状を阿部に差しだして、父・斉興を隠居させて自分が藩主になることを宣言した
この年の12月、阿部は江戸城に調所広郷を呼びつけた
阿部から琉球に関する件や異国との密貿易について詰問された調所は、自分がいっさいの責任をとるかたちで、藩主・斉興が咎めを受けないように画策した
その後、斉興を排除することが阿部の真の目的だと悟った調所は、すべて斉彬が仕組んだことと知る
すると調所は、不正はすべて独断でしたことだと言い張り真相を闇に葬るため、毒をあおって自害してしまった
やがて、調所が斉彬に追い詰められて自害したことを知った斉興は怒りに震えた
お由羅騒動
斉彬の子どもたちが亡くなったのを由羅が呪い殺したと噂する連中がいることを知った斉興は、斉彬派と思われる者たちの処罰に出た
切腹は13人、島流しは17人、そのほか総勢約50名が処分を受けることとなった。死刑の沙汰が下った者のなかには、赤山靱負もいた
しのぶの一言
吉之助はお役目についてから、藩の政治に様々な問題を見つけそれを指摘しました。意外にもそれを調所さまも赤山さまもそれを受け取て、対応してくれました。そして、斉彬が藩主になるだろうということに明るい未来を感じていたのです
ところが後半は、調所さまの自害に始まり由羅騒動で一転して真っ暗に…赤山さまにも死刑のお沙汰が下るとは…薩摩はこれからどうなってしまうのでしょうか
藩のお世継ぎ問題というのはこんなにも大変なものなのですね。幕府さえも直接介入できないから、回りくどい手を使って、それがもとでたくさんの人の命が奪われたと思うと切ないです
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