西郷どん(せごどん)第25回あらすじと感想!生麦事件から薩英戦争へ!ネタバレあり!

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©NHK

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第25話 2018年7月1日放送

ネタバレを含みます

まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう

吉之助、座敷牢へ移される

瀕死の吉之助(鈴木亮平)は牢より運び出され、土持政輝(斎藤嘉樹)の屋敷に運ばれて介抱された

土持(つちもち)は川口雪蓬(石橋蓮司)から、藩命に今一度目を通した方がいいと言われ、藩命の書状を再読する

そこには「囲い込みに召し込め」と書かれてあり「牢に入れよ」とは書いていなかった

そこで、土持座敷牢という妙案を思いつき、早速、屋敷内に座敷牢の建築に着手した

代官の黒葛原源助(つづらはらげんすけ)には非難されるが、吉之助をこの島で死なせたら、黒葛原にも迷惑がかかるだろうなどと、なんとか言いくるめた

こうして吉之助は、土持家座敷牢で暮らすことになり、体調も徐々に回復してきた

吉之助はお礼に島の子ども達学問を教えることになった

島には島役人の子家人(ヤンチュ)の子どもがいて、身分に隔たりがあった

島役人の子家人の子を見下すようなところがあったのだ

吉之助「薩摩では、幼かころより「島津日新公いろは歌」を教えられる。そん歌の中にこうある楼の上もはにふ(埴生)の小屋も住む人の心こそはいやしき(賤しき)

それは、住む家の立派さや身分で人の値打ちが決まるのではなく、心のあり方によって人格が修練されていくのだという教えだった

島役人の子も家人の子も、この屋根の下では誰もが平等で、子どもは国の宝なのだと吉之助は説いた

生麦事件が勃発し戦となる

文久2年(1862年)8月21日、島津久光(青木崇高)は薩摩への帰路についた

そこで、一行が生麦村に差しかかったとに、隊列に馬で割り込んできた英国人を藩士が殺傷してしまうという事件を起こした

英国高額な賠償金を幕府に要求してきた

幕府内では支払いすべきかどうか意見が割れる

しびれをきらした英国は世界に誇る艦隊を薩摩に差し向けてきた

薩摩は騒然となり、久光は重臣たちと協議に入った

押し黙る久光に対して、大久保一蔵は開戦を主張した

久光も奮い立ち、英国を迎え撃つことになった

吉之助のいる沖永良部島にも英国との戦の話は届いていた

琉球に近いこの島は、イギリス軍艦の通り道になるので、いつ攻撃されるかわからない

英国の攻撃を受けるのではないかという不安が島民たちの中にも広まった

身を守ろうにも、鉄砲も刀もないし、薩摩が守ってくれるとは限らない

吉之助たちは自分たちの手で島を守ろうと立ち上がる

島民たちにも協力を頼んだが、皆怖がって手伝おうとしない

しかし、島の子どもたちが協力し、大人たちも引き連れてきてくれたので皆で防衛作業に勤しんだ

生麦事件が発端となって始まった薩英戦争だったが、2日で集結を迎えた

それから半年後、吉之助薩摩へ召還されることになった

迎えにきたのは弟の信吾だった

一行を乗せた船は途中の喜界島新八(堀井新太)を拾い、奄美大島にも立ち寄った

吉之助愛加奈(二階堂ふみ)にも最後の別れを告げ、薩摩へ戻って行った

しのぶの一言

生麦事件や薩英戦争が超光速だったとお茶の間が湧いていましたね(笑)大久保一蔵は薩英戦争を推すことで、生麦事件や寺田屋事件で立場が危うくなった人たちを救うというグッドジョブをやり遂げましたね!

また、吉之助はどこへ行っても人気者で、沖永良部島でも島民たちからも愛されまくりほどなく薩摩へ召還されることになり嬉しいけれど別れが辛い…愛加奈とも最後の別れがあり、切なすぎた(泣)

たまには遊びにきてねってう訳にいかないのものなのかな…時代が違うとこうも大変なのですね…

吉之助は2度も島流しにあったわけですが、それは貴重な体験であり、この後飛躍していくための大きな原動力になっていくのでしょう後半もとても楽しみです!

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