お由羅騒動(おゆらそうどう)勃発で薩摩藩内は混迷を極める
しかし、そのことがきっかけで、新しい時代の幕開けを迎えることになる
◎ 前回のあらすじはコチラです↓
第4回 2018年1月28日放送
ネタバレを含みます
まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう
お由羅騒動で悲劇の連鎖
薩藩の家老・調所広郷が自ら命を絶ったことを機に、お由羅騒動と呼ばれる藩を二分する事件が勃発した
島津斉彬を担ごうとする一派を、父である藩主・斉興が一気に粛清したのだ。その陰には、斉興の側室・由羅の策謀があったと噂されていた
そしてこの騒動は、江戸町人のあいだで恰好の話題となり、由羅のおどろおどろしい絵入りの瓦版が売りさばかれた
瓦版 (かわらばん)とは
江戸時代の印刷ニュース媒体。不定期刊行で、絵画をメインとして説明文を書き添えたものが多かった。街頭で読みあげながら売り歩いたことから「読み売り」「辻売りの絵草紙」などとも呼ばれた
そのころ薩摩では、赤山靱負に死刑の沙汰が下ったことを知った吉之助は城へ訴えに行こうとしていた
大久保正助は吉之助を引き止め、冷静な対応を促した。そして、赤山の死刑を回避するための打開策を大山格之助らと探りはじめる
そして斉彬の弟の久光に、赤山の死刑の取り消しを直談判を試みることに。しかし久光はまったく取りあってくれず、吉之助たちは家臣らにボコボコにされてしまった
西郷家には、父・吉兵衛を赤山の弟・島津歳貞(のちの桂久武)が訪ねてきた。兄の赤山靱負から吉兵衛に処刑に立ち会ってほしいという書状を託されていたのだ
さらに歳貞(としさだ)は吉之助に、門弟の者たちと一緒にこれから家に来てもらえないかと促す。
その日の夕方、集まった吉之助たちと酒を酌み交わしながら、赤山は自分の代わりに斉彬の役に立てるよう尽力してほしいと話した
それから、皆で昔話に花を咲かせた。糸が蒸かした唐芋を運んできた
赤山「芋はひとつとして同じ形はなか。そいを桶ん中に入れて洗えば、お互いがぶつかりおうてきれいに泥が落ちる。おはんらもそれぞれ形も考え方も違っ。こいからも郷中という桶ん中で互いに切磋琢磨して立派な侍になってくいやい」
嘉永3年(1850)3月4日。立会人の島津歳貞と吉之助などが見守るなか、赤山はみごとな死を遂げた
その後、吉兵衛から赤山の血で染まった襦袢の切れ端を差しだされた吉之助は、思わず涙をこぼした
一方、江戸にいた斉彬は、赤山が死んだという知らせを受けるや、斉興への隠居の引導を自ら渡すことを阿部正弘に宣言する
その後も斉興の粛浦は続いき、大久保次右衛門は喜界島への島流し、それに連座して息子の正助も城勤めを解かれて謹慎処分となった
次右衛門に送られる日、吉兵衛と次右衛門は相撲をとった
大久保家と西郷家の者たちの声援のなかで繰り広げられたがっぷり四つの力相撲
満佐が次右衛門を応援して吉兵衛が動揺を見せた隙に、次右衛門が吉兵衛を投げ飛ばし、軍配は次右衛門にあがった
次右衛門は晴れ晴れとした気持ちで家族に別れを告げ、吉兵衛は、大久保家を守ることを約束した
斉彬が遂に立ち上がる!
斉彬のもとには、吉之助からの書状と、赤山の血染めの襦袢が届けられていた。
吉之助は斉彬に、無念の死を遂げた赤山のこと、斉彬に望みをかけた者たちが処罰され、次右衛門までもが勤め果たしただけで遠島になったことなどを書き送った
被らの無念の思いに報いるには、斉彬に薩摩の藩主になってもらうほかないと、吉之助は訴えた
吉之助からの書状を機に、斉彬は行動に出た
年が明けてすぐ、祝辞言上のため江戸城に登城した島津斉興は、将軍・徳川家慶に謁見した。
その際、斉興は家慶から朱衣肩衝の茶入を下賜かしされる。当時、将軍から茶器を下賜されるというのは、隠居勧告を意味していた。
斉興のもとを訪れた斉彬は、存在の吉之助から受け取った書状を斉興見せて言った
斉彬「年貢の取り立てに苦しみ、自らの手でつくった米の味すら知らぬ者がおること。家が貧しく、借財がかさみ、大事な娘を売ら鯰ば激らぬ者がいること。我らの悪政に苦しみ、自分が生まれ育ったこの薩摩を恐れ、憎み、他国へ逃げる者たちが大勢いること。この西郷という男は、江戸で育ち、なにも知らぬこの私の目となり、耳となり、いくたびも書状を送り届け、私に教えてくれたのです」
そして斉彬は、民の声を聞くこともなく、薩摩の藩主になることからも逃げていた自分を猛省し、処罰を受けた者たちのためにも、父に代わって島津家の当主となることを宣言した
ところが斉彬を好かない斉興は、斉彬に藩主の座を譲るくらいなら島津家もろとも消えたほうがマシだと逆上した
斉彬は短銃を取り出した。そしてお互いに自身の頭にあてて撃つことを提案したのだ。天の声に背く者に弾があたるはずだというのだ
そして斉彬は、弾を1つだけ込めてシリンダーを回して銃を自分の頭にあてて引き金をひいた
それが空砲だった
斉興に銃を渡したが、怖気づくき銃を放りだした
その後、斉彬は、近いうちに斉興に従三位の勅諚が下されるという世辞を述べると、頭を下げて出て行く
納得のいかない由羅は、斉興の放りだした銃を奪って斉彬を撃とうとした
止める斉興と揉みあううちに引き金をひいてしまい、銃弾によって天井に穴があくや斉興も由羅も腰を抜した
そうして、斉興は渋々と隠居届を出した。
斉彬は齢43歳にして、ようやく薩摩藩主に就任した
斉彬はおよそ300名の供を連れて第11代薩摩藩主として華やかに国入りを果たした
子どもたちがワーッと歓声をあげて斉彬に近づくと、護衛の者を制して斉彬は言った
斉彬「良い良い。手荒にするな。子どもは国の宝だ」
斉彬が笠を取って少年たちに顔を見せた。吉之助も新しい薩摩に希望を抱くのだった
しのぶの一言
前半では赤山靱負の死や大久保の父の島流しで、激しく動揺して憤る吉之助たちの様子を見て泣きました
そして後半は、決死の覚悟で父と対決して、ついに島津藩主となった斉彬がお国入り。歓喜の声を上げる人たちの様子をみて今度は嬉し泣きしました
お殿様をみた子どもたちが、「きらっきらっしかなぁ〜」と言って眩そうに斉彬を見上げていたのが印象に残っています。きっとスゴいオーラがでていたのでしょうね〜☆
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