第18回 壇ノ浦で舞った男
2022年5月8日(日)
平家軍を追い詰めて
義高がいなくなったあと、大姫はすっかり元気をなくし、心を閉ざしてしまう。
一の谷の合戦で破れた平家軍は四国の屋島に逃げる。頼朝は義経には四国を、範頼には九州を攻めるよう命じる。範頼は九州に渡る船を集められず、兵糧も届かずで苦境に立たされる。
義時の発案で、平家と対立していた豊後の水軍と味方につけ、船を借り筑前に攻め込む。これにより平家の逃げ道をふさぐことに成功。
暴風雨のため摂津で足止めされてた義経は御家人たちの反対を押し切り、手勢のみで阿波に向かい、屋島の平家軍に奇襲をかける。不意をつかれた平家軍は長門の彦島へ落ち延びる。
戦況は、梶原影時から鎌倉の頼朝に報告される。勢いに乗る義経に頼朝は脅威を覚える。頼朝は総大将は景時にやらせ、義経は戦に出さぬようにと命じる。
頼朝の意向が伝えられるが、義経は総大将を降りることを拒否。義経と景時は対立し、御家人たちが止めに入る。比企能員が義経を支持を表明し、頼朝の意向は無視して決戦に望むことになる。
実は、景時と義経の間では2人で激しく言い争い、御家人たちの後押しで義経が大将になるという筋書きが事前にできていたのだ。
義経は、船の漕ぎてを狙うという作戦を景時に打ち明ける。
元暦2年(1185年)3月24日 朝 義経軍と平家軍は壇ノ浦で激突。範頼勢は岸辺から様子を見ている。
海上の平家軍に近づいた義経は、漕ぎてを射殺すように命じる。兵士ではない漕ぎてを狙うのは道理に反すると重忠は強く反対し、他の兵士たちも動かない。
そこで義経は自ら矢を放ち、平家軍の漕ぎ手を狙い撃ちする。他の者もしかたなくこれに続くき、次々と漕ぎ手が射殺される。動揺する平家軍の船に義経は先頭に立って乗り込み、切り込んで行く。
平宗盛「もはや、これまで。」
三種の神器、安徳天皇を抱いた親族が次々と海に身を投げる。
壇ノ浦の様子は鎌倉にも伝えられる。
頼朝「帝を救うことができず三種の神器のうち宝剣は失った。平家は倒せてもこれでは勝ったことにならない」
家臣の前では渋い顔する頼朝。しかし政子の2人きりになると嬉し涙をこぼす。
頼朝「平家が滅んだ。九郎がやってくれた」
鎌倉へ入れない義経
鎌倉に戻った景時は頼朝と対面。義経は戦については神がかった強さを持っているが、人の情けにおいてはないがしろにするところがあると報告する。
京では鎌倉殿を差し置いて、平家の後は九郎義経の世だと言うものもいるという。頼朝は不機嫌になり、すぐに義経を呼び戻すように命じる。
しかし、検非違使の役目がある義経は都を離れる事が出来ない。頼朝は義経を叱責する文をおくる。義時は義経に一日も早く自分の口から弁明するよう進言。
義経は法皇に鎌倉に戻りたいと申し出る。法皇はお気に入りの法皇が戻らなくなることを恐れ、法皇を鎌倉へ行くことを拒む。
丹後局が助け舟を出し、検非違使として平宗盛親子を鎌倉に連れて行き、また戻ってくるという役目を義経に言い渡す。
義経が鎌倉に戻った後、京へ戻ることが頼朝へ伝えられると「なぜ検非違使をやめないのか」と不信感をあらわにする。
景時は義経を鎌倉へ入れるべきでないと進言。頼朝もヘソを曲げ、義経には会わないと言い放つ。
義経一行は腰越に到着。宗盛親子は鎌倉へ連行されるが、義経は止め置かれることになった。
義経は宗盛親子に一晩ゆっくり語りあうように計らう。
宗盛は義経に、頼朝への思いを文に書くように勧め、書くのが苦手だという義経の代わりに手紙を書いてやる。
義経からの手紙は代筆であることがバレてしまい、頼朝をいっそう怒らせてしまう。義経は諦め、この先は法皇さま第一にお仕えすると言う。
腰越に義経を訪ねてきた者がいる。義経が平泉から鎌倉にやって来たときに芋を差し入れてくれたに農夫だ。
義経はその時の約束を守り、お礼の芋を農夫たちにふるまう。皆に囲まれて屈託なく笑う義経を義時は温かい眼差しで眺める。
感想
大姫を笑わせようと顔にわざと墨をつける八重が相変わらずかわいい。
静とイチャついているところを妻の里がのぞいてたけど、怖い。このあとの展開が気になるところ。
なぜ景時は義経のことを悪くいったのだろうか?やはり、軍議で坂東武者たちを罵倒したことを根に持っていたのだろうか。
口も悪いし、態度もわるし、残虐非道なことも平気でやってのける義経。でも優しさ可愛らしさもあり、魅力ありすぎ。
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