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第19回 果たせぬ凱旋
2022年5月15日(日)
鎌倉へ戻りたい
義経は妻の里から鎌倉に戻りたいと言われ、愛人の静御前のことも責められる。そこへ叔父の源行家が尋ねてくる。行家は義経に挙兵して鎌倉を攻めよとそそのかす。義経は兄・頼朝とは戦いたくないと断る。
鎌倉では、義時らが頼朝と義経の関係改善を探る。大江広元が義経に受領を任じてもらう案を思いつく。頼朝も賛同し、義経に伊予守(いよのかみ)を任せるよう法皇に願いでることになる。
受領となれば検非違使は解任されるので、義経は鎌倉に戻れるはず。しかし、法皇は義経に伊予守と検非違使を兼任を命じたため、義経は鎌倉に戻ることはできなくなってしまう。頼朝は義経が自分より法皇を重んじていると憤慨する。
北条家内でも、頼朝と義経の問題を話し合われる。
義時「鎌倉殿は、ご自分を武士たちの頂きとする、新しい世をお作りになりたいのです。」
全成が頼朝の父・義朝の法要を鎌倉で執り行う際に、義経を呼ぶという案を考え出す。
義時はその事を頼朝に伝えにいく。そこで、京より来ていた三善康信からこんな話を聞かされる。
康信「法皇さまには、鎌倉殿が九郎殿とぶつかることを、むしろ望んでおられる節があります。 大きな力が生まれると、必ずそれに抗う力を作ろうとなさるのです。」
頼朝も義経と和解することを望み、義経が戻ることを望んでいる。義時は京へ向かい、義経に供養に来るように伝える。
行家は供養は頼朝の罠だと言い鎌倉行きに反対する。しかし義経は法皇に鎌倉行きを願い出でる。
法皇は了承したが、話しているうちに気を失う。義経が駆け寄ると「行かないで」と囁く。法皇の猿芝居に義経は騙されてしまう。
里は行家と手を組み、武装集団に義経と静を襲わせる。義経が男たちを追い払ったあと、行家は鎌倉が送ってきた刺客に違いないと言い、挙兵を勧める。
義経は鎌倉からの刺客だと信じ込み、挙兵することを決断する。
頼朝追討からの義経追討の宣旨
文治元年(1185)10月18日
源義経の求めに応じ、後白河法皇が源頼朝追討の宣旨を出す。それを聞いた頼朝は全軍で京へ攻め上ると宣言。
義経の強さを知っている御家人たちは反対する。梶原景時が総大将を買って出るがついていこうとする者がいない。
義時は三浦義村にすがるような視線を送る。義村は意を決して立ち上がり、皆を鼓舞。畠山重忠、和田義盛らが次々と名乗りをあげる。
あとで義村は義時に、義経は戦わずにして負けるとつぶやく。義経のような無謀な戦いばかりする大将にはついていくものはないだろうという見立てだ。
10月29日
頼朝は軍勢を率いて出陣。一方、義経は兵を集めることが出来ず、行家は去り、義経も失踪する。
法皇は頼朝追討の宣旨を取り消し、今度は頼朝に義経追討を宣旨を与えよ命じる。
頼朝は義経失踪の知らせを受け、鎌倉へ引き返す。
頼朝は時政に義経を探し出して捕らえるように命じる。また法皇様と鎌倉の橋渡し役を頼む時政は断るが、頼朝は時政のイザという時の胆力を見込んで頼みたいと言う。
時政は鎌倉武士としては初の京都守護として軍勢を率いて上洛。義時とともに法皇と対面する。法皇は頼朝追討を出した責任を義経に押しつける。
義時「されど、わが主は疑っております。法皇様は日本一の大天狗。お言葉を信じてよいものかと。」
そして、義経と行家を捕らえるために、機内はじめ西国諸国を頼朝が治めたいと告げる。
夜、義時と時政のいる館に義経が現れる。義経は捕まえたければ、捕まえればいいというが、時政は偽物であろうと笑ってみせる。
義経は自分が法皇様から追討の院宣を出されていることを聞かされると、背中を落とし出ていった。
感想
愛人に子ができたからって妻と2人で話し合いをさせる義経もヒドいけど、武装集団まで雇って襲撃させる妻・里もヤリ過ぎ。その影には死神といわれる源行家がいた!
鞠を使って脈を止めるという小細工までやってみせる法皇さま!義経がいいように手球に取られているさまが可哀想。
今回は時政パパがステキだった。出陣を嫌がって妻のりくに怒られて、小さくなったり。ふらりと現れた義経に懐の大きいところを見せたり、魅力が溢れている。
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