第20回 帰ってきた義経
2022年5月22日(日)
義経、奥州へ行く
文治3(1187)年2月。
義経はかつて庇護されていた奥州・平泉の藤原秀衡(ひでひら)を頼る。秀衡は義経を暖かく向かい入れる。
義経が奥州にいることは鎌倉にも伝わる。
秀衡には最期の時が迫っていた。病床に家族を集められる。嫡男は国衡(くにひら)だが、跡継ぎは次男の泰衡(やすひら)と言い渡される。義経を大将軍とし、大将軍のもとに力を合わせよと言い残し、秀衡は息を引きとる。
文治5年(1189)4月
義時は平泉に義経を連れ戻しに行きたいと頼朝に申し出る。頼朝は承諾するが、義経を生かして連れて帰るなと命じる。
頼朝「だが、決して直に手を下してはならない。国衡と泰衡の兄弟は仲が悪い。2人の間を裂け。」
まず泰衡に取り入り、たきつけて九郎(義経)を討たせる。泰衡が独断で義経を討てば、頼朝が平泉を攻める大義名分がたつというのだ。義時は絶句。
頼朝「この日のもとから鎌倉の敵を一掃する。やらねば戦は終わらん。新しい世を作るためじゃ。」
義時は梶原景時の家人、善児を伴い平泉へ向かう。義時は藤原国衡、泰衡らに面会。義経の引き渡しを申し出るが、断られる。
義時「あの者は、鎌倉殿に対して謀反をたくらんだ、大罪人。かくまえば、泰衡どのも同罪になりますぞ。」
義経に会いに行くと、畑仕事をしていた。妻と子供とともに穏やかな暮らしをしている様子。
後日、義時は義経を再び訪ね、静御前の話をする。
静は捕らえられ、鎌倉で取調べを受けたこと。皆の前で舞を披露したこと。その後、男の子を産んだが、赤子は始末され、静は行方知れずになったとこと。
義経は動揺する。その夜、義経は案山子を切り捨てる。義時は泰衡に会い、義経は鎌倉への憎しみが押さえきれないほど膨らんでいる。国衡と図って挙兵するだろうと忠告する。
泰衡は慌てて、義時に助けを求める。
義時「敵意がないことを頼朝に証明するには、義経の首を取り鎌倉殿へ送り届けるしか道はない。」
義経、最期の戦い
泰衡は戦支度をし、義経のいる館を囲む。
妻の里は義経を責めた。そして、京にいたとき、刺客を手引したのは自分だと白状する。義経は驚き、里を押し倒したはずみで刺殺してしまう。義経は泣きながら、里に詫びる。
義時は鎌倉へ帰る途中、弁慶に呼び止められる。義経が呼んでいるという。案内され、秘密の通路から義経のいる館へ向かう。
義経は、義時がわざと静の話を義経に聞かせ、頼朝への憎しみを倍増させ、泰時を扇動したことに気づいたのだ。
義経「自分の手は汚さず泰衡に私を討たせる。兄上の考えそうなことだ。でも、この首で平泉が守れるなら、本望だ。」
義経はいかに鎌倉を攻めるかという攻略法を編み出していて、その方法をしるした文をに託す。
義経「梶原景時ならこの策の見事さをわかってくれるはずだ。」
そして、義時に帰るように言うと、壁の隙間から藤原勢と弁慶の攻防を楽しげにのぞき見る。
後日、義経の首が鎌倉へ届けられた。頼朝は首桶に話しかける。どのようにして平家を討ち果たしたのかお前の口から聞きたいと。
そしてむせび泣きながら、義経に詫びた。
感想
今回は涙なしには見ることができない回でした。
凛とした静御前、最期まで目をキラキラさせていた義経。号泣する頼朝。
ぐっと飲み込み鎮痛な表情の義時。すべてが印象的でした。
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