こちらは第49回以降のネタバレが含まれます。まだ知りたくない方は読まないでください!
信長に安土城にお招きを受けた家康と家臣団。信長の罠なのだというけれど、断ることも出来ず、意を決して安土に向かいました
そこで待ち受けたいたものとは…いったい
上方から三河への退路を確保する
家康らは信長に安土城へ招かれていましたが、武装していくわけにはいきません。
でも、そこは慎重な家康のことです。何かあった時はすぐに三河に逃げて帰れるように抜かりなくチェックしてありました
退路を確保するためにコーディネーターとして派遣されたのが直虎なのです。女なら目立たないですしね
上方から三河に逃げるための2コース
家康から紹介された商人、茶屋四郎次郎さんは海路と陸路の2コースを提案してくれました
- 宇治から甲賀を抜け、伊賀を通り、伊勢に出て、知多に渡るコース
- 堺より船にて知多へ行くコース
1の陸路コースは茶屋四郎次郎が当たってみてくれることになりました
2は直虎の前夫、龍雲丸が担当です。龍雲丸は井伊を離れたあと、堺で仕事していたのです。今ではバイリンガルな龍雲丸は南蛮船のオーナーである異人にも顔が利くのだといいます!
伊賀越えへ
そして本能寺の変が勃発!
堺から京へ向かう道中にいた家康一行は、知らせを聞いて、海路は捨て陸路コースで逃げることになりました
港もある程度、明智軍に抑えられている可能性もあるし、陸路を使って逃げた方が目立たないという理由だったのでしょう
陸路と言っても、大きな街道は明智軍の目があるので、人目につかない山道をわずかな手勢でそっと逃げます
でも、明智郡の兵士はいないとしても、落ち武者狩りというのがありまして、どこから盗賊たちが襲ってくるかは見当もつかないという状況です!
家康たちは少人数でしかも武装していない丸腰状態なわけですから、襲われたら命を落とす危険だってあるのです。山道を進み、見えない敵と戦うわけなので、やみくもに行くわけにはいきません
でも、家康らは初めから信長暗殺計画について小耳に挟んでいましたのである程度の心づもりはしていました。そして、茶屋四郎次郎がある程度の道筋を指南して、道中の有力者にも話をつけてくれてあったのでしょう
無事になんとか三河に逃げ帰ることができたのです
茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)とは?
茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)とは、安土桃山時代から江戸時代にかけての公儀呉服師を世襲した京都の豪商です。当主は代々「茶屋四郎次郎」を襲名していました
もとは小笠原長時の家臣・中島明延のことであり、戦で負傷したために武士をやめ、京都で呉服商となったそうです。
元武士なので、取引先も武家が多かったということなのです
将軍・足利義輝が、この中島明延の屋敷にあった茶屋にてよく「茶」を飲んでいたことから「茶屋」が屋号になった言われています
初代茶屋四郎次郎と徳川家の関係は、家康が今川家から独立した直後から続いたといことです
茶屋四郎次郎役はだれ?
今回、茶屋四郎次郎を演じたのは辰巳琢郎さんです。見事な京都弁を駆使した商人っぷりに驚いていたのですが、辰巳琢郎さんはなんと京大出身なのだそうです!
しのぶの一言
四郎次郎って名前が2つ続くのがなんだか面白いですねー
さて、家康一行の退路ですが、海路は捨て陸路を選択することになりました。有名な伊賀越えです!
「真田丸」での伊賀越えは超面白くて、未だ記憶に残っていますが、「直虎」ではまた全然違う演出で、大爆笑してしまいました〜
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