虎松(菅田将暉)が徳川家康(阿部サダヲ)に仕官したのは15歳の時です
虎松の養父は松下源太郎。弟の常慶は家康の家臣です
そのつてを使って仕官するのだろうと周りの人は思っていました
でも虎松はある野望がありました。それは井伊家を復活させること。
そのために井伊の名でお仕えしたいと家康に伝えます
1度潰れた家である井伊の名を使えば、色々と波風が立つことが目に見えています
家康は悩みました。家臣たちも井伊の名を復活させるのには反対します
でも最終的には、家康は井伊の名で虎松を仕官させることを決めました
それはどうしてなのでしょうか?それには、3つの理由があったのです
ここからは、第40回以降のネタバレが含まれます。まだ知りたくない方は読まないでくださいね!
井伊を助けられなかった過去
井伊家では過去に2回、家康に助けを求めたことがありました。でも2回とも間が悪くて助けられずに終わってしまいました
直親が謀反の疑いをかけられたとき
直虎が家康の正妻である瀬名を助けたことがありました。そのことで家康から連絡があり、当時、井伊家の当主であった直親は鷹狩に誘われます
井伊家の前の当主、直親は家康とつながりを持ちたいと思ってたのでこの誘いに応じてしまいました。でも、これは今川の罠だったのです
今川から謀反の罪に問われた為、直虎は家康に助けを求めました。でも家康に断られてしまったのです
井伊谷城開城
今川と徳川の間で戦になり、井伊家はは君主であった今川を裏切り徳川に味方するという密約をかわします
ところが井伊谷城を明け渡す時に、横槍が入り、城は近藤の手に渡ってしまいました
そのことで井伊家はお家復興を断念せざるを得なくなり、現在に至ります
家康その時のことを、井伊を助けうるだけの力がなかったと言っています
正妻の瀬名は井伊のゆかりのもの
瀬名の母親は井伊家の出です。瀬名は井伊家と血のつながりがあり、また直虎は小さい頃からの友達です
瀬名は今までも事ある事に、井伊を助けて欲しいと家康に訴えてきました。家康も瀬名の気持ちに応えてあげようと色々と努力はしてくれているのですが、毎回上手くいかなかったのです
虎松(万千代)の将来性を見込んで
虎松は面識のない家康に瀬名を通して手紙を書き、井伊の名で仕官したい!自分から言うと角が立つから、家康から命ずるという形にして頂けないかと言ってきたのです
図々しいにも程がありますよね(笑)
ただ、その度胸と知恵には驚かされたようです
家康曰く、
松下の跡取りとすれば、皆の目は温かい。じゃが井伊の遺児となれば、さまざまなことを言われることと思う。今川の国衆の子、銭で潰れた家の子、あるのは家格だけ。……なれど、あの子は、たたかれればたたかれるほど奮い立つような気がしての
さすが家康さん、よく見ていますねー
しのぶの一言
虎松を家康が受け入れたのはよくよく考えてからのことなんですね
敵対していた今川の家臣であったということもあり、家臣達は反対していましたし、虎松の養父の弟である常慶も自身の松下家の跡取りとして育ててきた虎松が松下家が出ていってしまうとうことにかなり憤慨している様子でした
そんなことを全部押し切って、家康は独断で虎松を受け入れてくれました。
なんといっても、虎松を受け入れること最終的に決定した1番の理由というのは、虎松自身のポテンシャルの高さという気がします
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