斉彬は黒船が来航するのを予見していたのか?「西郷どん(せごどん)」

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©NHK

1853年、アメリカ使節・ペリー浦賀艦隊を率いてやってきました

その知らせ受けた薩摩藩主・斉彬は驚いた様子ではなく

そうか、来たか!とまるでわかっていたような態度をとりました

どうしてなのでしょう?

斉彬は、アメリカが艦隊を率いてやってくることが事前にわかっていたのでしょうか?



ペリーの来航の情報はわかっていた?

実は、江戸幕府ではペリーが艦隊を率いて日本へやって来るという情報を事前に察知していたようです

斉彬は江戸でも幕府の中枢にいる阿部正弘らと親しく、幕府の内情にも精通していました

また、アメリカに渡っていたジョン万次郎からも情報を得ていました

これらのことから、斉彬さまはアメリカから艦隊が来る日が近いことを予測していたのです

外国船は前からちょくちょく日本へやってきていた!

18世紀半ばごろから外国船が日本へやって来ていました

  • 1792年にラクスマンが根室に来航し通商を求めますが、幕府は鎖国を理由に拒絶
  • 1804年にはロシアの正式な使節であるレザノフが長崎に来航し通商を求めますが、またもや拒絶
  • 1808年にイギリス軍艦フェートン号がオランダ船を追って長崎に侵入し、燃料や食糧を要求するという事件が勃発
  • 1825年からは異国船打払令を出し、外国船は事情を問わずに撃退するように命を出す
  • 1837年にアメリカ船のモリソン号が日本人漂流民を送り返すことと通商交渉のため来航、しかし異国船打払令により撃退(モリソン号事件)

幕府は鎖国政策をとっていたために、外国船の来航に対しては強い態度で対応をしていました

アヘン戦争で清が敗北

ところが、1840年アヘン戦争イギリスに破れてから情況がかわります

戦後、不平等条約である南京条約を結ばれたことから、幕府も強い危機感を持つようになったのです

1842年、異国船打払令を緩和して、薪水給与令を出しました

相変わらず鎖国政策は相変わらず続けていましたが、このままで済むはずはないことは幕府もわかっていたのです

日本が開国を決断するのは、あとは時間の問題でした

しのぶの一言

幕府内では、開国するとしたらいかに有利に条約を結ぶか、また反対勢力をどう説得するかということに頭を悩ませていました

斉彬公もまた、薩摩から外国に対抗できるような軍備を整えたり、また新しい産業を取り入れるというような画期的な策を練っていたようです

日本のトップたちはそれぞれ、日本の未来を見据えて思索し続けていたのです

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