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「麒麟がくる」では戦国時代らしく戦のシーンが多く登場します。
誰と誰が戦ったか?どんな戦だったのか?結果はどうだったのか?どういう背景があったのか?など色々疑問がわいてきますよね。
ということで、「麒麟がくる」に実際に登場する戦についての概要をまとめていきます!
ドラマを見ていてもよくわからなかったり、聞き逃したりした時などは参考にしてください。
第2回 加納口(かのうぐち)の戦い
戦場:美濃 稲葉山城下
天文16年(1547年)
織田軍は尾張国中に要請して兵を集め、美濃へ侵入した。方々に放火をして回り、斎藤道三の居城・稲葉山城山麓の村々も焼き払って町口にまで迫った。
斎藤軍は篭城した際、石や火をつけた俵などを使って応戦!
しかし、稲葉山城内で重臣たちが酒盛りを始めたという情報を聞いた織田方は、一旦兵を
引き上げた。
兵が半分ほど引いたところへ道三が攻撃しかけ、織田勢は総崩れとなる。信秀の弟織田信康ら多数討ち死にする。
斎藤利政をよく思わない美濃の守護・土岐頼純(ときよりずみ)が織田信秀に戦を起こすように図っていた。
https://taigatv.net/2020/20story/kirin_002/
第4回 小豆坂(あずきざか)の戦い
戦場:岡崎城東南の小豆坂
天文17年(1548年)
尾張から侵攻してきた織田軍と、三河側の今川・松平連合軍で繰り広げられた三河国・小豆坂での戦い。
両軍は譲らず、決着はつかずに終わる。
この時、織田軍の消耗は酷く、織田信秀も肩に矢を受け負傷。矢に塗ってあった毒が体中に周り、やがて死に至る。
第6回 大柿城(大垣城)の戦い
戦場:西美濃の大柿城
天文17年(1548年)
かつて織田信秀に奪われた西美濃の大柿城(大垣城)を奪回するため、斎藤利政が率いる斎藤軍が進軍。
攻防の末、織田軍は守りきることができず、利政は大柿城の奪回に成功。
織田軍の敗因は、織田一族でもある清洲城の守護代・織田彦五郎が、応戦中に信秀の城・古渡城を攻めてきたこと。
東方の駿河・遠江の今川義元という敵もあることから、信秀は大柿城は諦めざるは得なかったのです。
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