第19回、ごりん(神木隆之介)のアイデアで駅伝落語が始まります。
師匠の古今亭志ん生(ビートたけし)→ごりん(神木隆之介)→今松(荒川良々)と噺のタスキをつないでいきますが、だんだん雲行きが怪しくなってきます。
そこへ助っ人が登場!
志ん生の息子、清(金原亭馬生)と強次(古今亭朝太)です。
いや、どう見ても美濃部孝蔵(森山未來)なんですが…。
まあ、志ん生の若いころ=孝蔵なので、似てて当然かもしれないですね。
高座に上がった馬生さん、朝太さんの噺っぷりといったら、さすがとしか言いようがありません。
オープニングクレジットには森山未來さんの名前がなかったのに、こんな風にダブルキャストで突然出てくるなんて…やられましたね。
とにかく、2人の落語家を演じ分けた森山未來さんの天才っぷりには、もう鳥肌が立ちっぱなしでした!
ところで、金原亭馬生と古今亭志ん朝のことはご存知ですか?
この2人の落語家について、ちょいと調べてみました。
10代目 金原亭馬生(きんげんてい ばしょう)
本名:美濃部 清(みのべ きよし) 1928〜1982年
予科練(海軍飛行予科練習生)志願だったが、体調が悪く断念。その後、落語家を目指し、父の古今亭志ん生に入門し、4代目むかし家今松を名乗る。
1944年頃、初代古今亭志ん朝と改名。
1948年に真打昇進し、古今亭志ん橋を襲名。
1949年10月、10代目金原亭馬生を襲名。
父、志ん生の名を継がなかったのは、父が弟・3代目志ん朝に継がせたい意志を汲んでのことだそうです。
3代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう)
佃煮・ふりかけ「錦松梅」のCMキャラクターとして活躍。「中身もいいけど、器もいいねえ〜」というセリフも有名です。
本名:美濃部 強次(みのべ きょうじ) 1938年〜2001年
初めは役者を志していたが、父の志ん生から「歌舞伎役者は親が役者でないと上に行けないが噺家は扇子一本で偉くなれる。」と説得され入門する。
入門してから5年目という異例のスピードで真打に昇進。
1957年 〜1962年 古今亭朝太
1962年〜 2001年 3代目古今亭志ん朝(初代は、後の10代目金原亭馬生で兄の美濃部清)
2001年 芸術選奨文部科学大臣賞
1996年 〜2001年落語協会副会長
7代目立川談志、5代目三遊亭圓楽、5代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における落語若手四天王と呼ばれていた。
また、東の志ん朝、西の枝雀とも称された。
若い頃はテレビ出演も多かったが、後には落語家としての活動に注力した。独演会のチケットはすぐに完売するほどの人気が高かった。
しのぶの一言
金原亭馬生さんと志ん朝さんの落語をちょっとだけ聞いたら、めちゃめちゃ面白かったです。
子供の頃に、錦松梅のCMは見たことがありまが、あれが志ん朝さんだったとは知りませんでした(笑)
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