第20話 2019年5月26日放送
ネタバレを含みます
まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう
アントワープオリンピックへ
嘉納治五郎(役所広司)の働きかけもあり、マラソンはオリンピックの正式種目に加えられた。
体協本部ではオリンピック出場選手の選抜会議が開かれた。
会計監督の岸(岩松了)の手腕もあり、選手15人と監督1人の渡航費が支給されることになった。
マラソンは金栗(中村勘九郎)、茂木ら4人、テニスはアメリカ在住の選手が二人、陸上の十種競技に野口、水泳に浜松の内田正錬(まさよし)が選ばれた。
浜松の内田は浜名湾遊泳協会に属していたのだが、その会を率いていたのは田端のこと田畑政治だった。
当時の日本人の泳ぎ方は、武術として受け継がれてきた日本泳法が一般的だった。しかし、世界ではクロールが主流だった。
大正9年5月、アントワープに向かう日本選手団の壮行式が横浜で行われた。13人の選手と監督が横浜から船でサンフランシスコへ行き、アメリカ大陸を横断。
ニューヨークで嘉納とテニスの2選手と合流した。そこからは船でロンドン経由でアントワープを目指した。
入国手続の際、金栗の名字が池辺と書かれていることから、養子縁組し結婚したことがバレてしまう。
金栗は金メダルとってから、紹介するつもりだったことを白状する。
アントワープオリンピックを終えて
そして、3ヶ月後。東京高師の講堂でオリンピック報告会が開かれていた。
会場にはスヤ(綾瀬はるか)と実次(中村獅童)もいた。しかし、金栗はいなかった。
壇上には選手団の主将の野口が出て、団長の嘉納が欧州視察後に帰国するため、自分が代理で報告すること述べた。
テニスではシングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得。水泳は予選敗退した。世界の競泳界はクロール一色で日本もクロールの習得をすべきなのである。
マラソンの金栗は途中5位まで順位を上げたが、その後ペースダウンし、16位でゴールした。記録は2時間48分45秒だった。
トクヨ(寺島しのぶ)から惨敗への原因などについて厳しい質問が飛んだ。
スヤは立ち上がり言い返した。「金栗選手は負けとらんたい!42キロ、日本人ではじめて完走ばしたとでしょうが!16位ばってん、うちにとっては大勝利!金メダルたい!」
一方、傷心の金栗はヨーロッパをさまよっていた。
ベルリンのスタジアムにたどり着き、今後の身の振り方を考えていた。と、足元に槍が取んできた。
女性選手が槍投げの練習をしていたのだ。
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