第17話 2019年5月5日放送
ネタバレを含みます
まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう
オリンピック中止!
ベルリンオリンピック中止の知らせを聞いた金栗(中村勘九郎)は落胆し、下宿に引きこもってしまう。
友人達が心配してやって来たが、金栗はすっかり気落ちしていた。そこへスヤ(綾瀬はるか)がやってきた。
金栗はスヤに苦しい胸のうちを語り、スヤは金栗にずっと寄り添った。金栗は次第に元気を取り戻し、将来についても語るようになった。
スヤは自分たち夫婦のことなのかと期待したが、金栗が考えているのは日本のマラソンの未来のことだった。
自分が走れなくなったら誰が後を引き継ぐのかということだ。
スヤはあきれて言った。
「金栗四三が50人おったらよかばってんね」
その言葉で金栗は新しいアイデアを思いつく。
東海道五十三次レース?
マラソンを団体競技と考え、後継者を育てればよいのではないか!
その後、金栗は教職につき、学校で地理を教えるかたわら、足袋や練習法の改良に励んだ。
金栗と嘉納先生(役所広司)がミルクホールで、東京ー大阪間のレースの話しをしてきると、そばの客が話しかけてきた。
「京都ではダメですか?」
読売新聞の大村、土岐という新聞記者だった。読売新聞は、京都から東京への遷都50周年の協賛行事を考えていたのだ。
浅草で運動部のご意見番に会うといのでど同行させてもらうと、そこには天狗倶楽部のヤジ将軍、吉岡信敬( よしおかしんけい )がいた。
東海道五十三次を辿るレースなど壮大なアイデアが出された。
嘉納先生もいつか東京でオリンピックを開くために競技場を作る計画を話した。
その後、吉岡、土岐、大村を体協の会合に招いた。そこで、金栗は東海道五十三次レースの説明をする。
全体を23区内に分け、関東、関西、中部、23人のランナーで516キロを走り継ぐレースを開催するのだ。
読売新聞の主催ということもあり、話はトントン拍子にまとまった。
東海道の五十三次の宿屋、つまり駅を伝って走るということからレースの名前は駅伝に決まった。
駅伝が開幕!
大正6年4月27日、東海道五十三次駅伝が開幕した。
関西軍は選手が集まらず出場を棄権したが、関東軍、中部軍は京都の三条大橋からスタートした。
バトンを握って長距離を走るのは辛いので、代わりにタスキを使った。それはスヤがタスキ掛けで掃除をする姿かた思いついたものだ。
結果は関東軍の圧勝。日本初は駅伝は大成功で幕を閉じだ。
その後、熊本にもどったスヤは妊娠したことがわかった。
◎「いだてん」を今すぐ見るには ➡ コチラから
◎ その他のあらすじは ➡ コチラからどうぞ!
◎LINEで友達追加していただくと更新情報などをお知らせします!