「いだてん(韋駄天)」嘉納治五郎(かのう じごろう)という人

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©NHK

「いだてん」では第1回から登場し、案内役の美濃部孝蔵(若き日の古今亭志ん生)から「最も重要なおじさん」と紹介されている人物です!

嘉納治五郎は、講道館柔道の創始者。東京高等師範学校校長など教育者としても活躍していました。

「柔道の父」「日本の体育の父」とも呼ばれていました。

”スポーツによって世界平和を目指す”

という精神に感銘受け、私財を投げってまで日本のオリンピック初参加を実現に尽力します。

日本の未来のために、苦難を乗り越えながら、前に突き進む嘉納治五郎役所広司さんが熱く演じます!



嘉納治五郎(かのうじごろう)とは?

裕福な家に生まれ、教育者としてのキャリアを積む

1860年(万延元)、いまの神戸市あたりで生まれる。
一族は灘の高名な酒造家にして廻船業者。

1870年(明治三)、政府に招かれた父に付いて上京し、1881年に東京大学文学部卒。

学習院で英語と理財学を教え、1889年から一年半は官費で欧州教育視察。

帰国後は五高や一高の前身で校長、1893年から1920年(大正九)までの27年間は東京高等師範学校(筑波大学の前身)の校長を務める。

日本のスポーツ界を引っ張る

教育者のキャリアと並行して、スポーツ振興にも力を注いだ。

1882年に柔道場の講道館を開く。柔術各流派を総合改良し、名を「術」から「道」に改める。

発足時は数名だった門人は20年足らずで6千人余。講道館は総本山となる。

海外でも柔道の紹介普及に努める。

日本初オリンピック参加に関わる

1909年、駐日仏大使セザールから国際五輪委員会(IOC)委員にと誘われる。

嘉納は3年後に開催されるストックホルム五輪を目指し活動を開始。

関係者の協力を得て大日本体育協会(日本スポーツ協会の前身)を設立する。

また、協会内の委員会としてオリンピック委員会(IOC)を設置する。

1912年ストックホルムでオリンピックに初参加を果たす。

オリンピック活動に生涯を捧げる

1916年ベルリンオリンピックは第1次世界大戦で中止。

1920年アントワープオリンピックは嘉納団長のもと、15名が参加し、日本は男子テニスで初メダルを獲得した。

1940年のオリンピックを東京に招致をという話しがあり、協力を依頼される。

この時、嘉納は70代でかなり高齢だったが、精力的に活動する。

しかし、1937年に日中戦争が勃発。

IOCでも日本への反発が高まり、嘉納の努力も虚しく、開催は見送られることになった。

嘉納は活動なかばで船上で急逝した。

役所広司(やくしょこうじ)さんプロフィール

1956年生まれ、長崎県出身

【主な出演作】

ドラマ:「陸王」「宮本武蔵」「徳川家康」「花の乱」

映画:「Shall we ダンス?」「CURE」「うなぎ」「キツツキと雨」「清須会議」など

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