ずっと進展していなかった篤姫お輿入れの件がやっと動きします。幾島や山田、吉之助が大活躍して話がまとまるのですが…
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第12回 2018年3月25日放送
ネタバレを含みます
まだ詳細を知りたくない方は読まない方がよいでしょう
篤姫お輿入れの裏工作
安政2年(1855)3月、先のお由羅騒動で処罰された人たちに対する特赦を発令した
遠島処分となっていた大久保正助の父・次右衛門も5年ぶりに喜界島より帰って来た
一方、篤姫は江戸に来てから2年が経とうとしていた
しかし、将軍・徳川家定への輿入れの話は遅々として進まずにいた
そこで幾島は、篤姫の輿入れの件を大奥に働きかけてみようと斉彬に提案する
幾島は、1日でも早く新しい御台所を迎えて、将軍・家定が世継ぎを授かることが大奥と薩摩の悲願であると信じていたのだ
吉之助は、家定が大うつけで世継ぎがつくれないという裏事情を知っていたので複雑な思いだった
しかし、まだ真実を知らない幾島は、誰よりも世継ぎを願っているはずの将軍の母・本寿院に近づこうと考えたのだ
斉彬も乗り気で、人も金も惜しまないので、どんどん進めよと言う
その後、本寿院には各藩の屋敷に届ける本寿院の書状と、手みやげを用意するための小判が渡された
必要ならば何千両、何万両と用意するから遠慮なく申請するようにと告げられた
そのようすを篤姫も廊下から見ていた
篤姫自身も江戸に来て2年が経つのに将軍への輿入れが成立しないことを案じていたのだ
吉之助はなにがあっても御台所になりたいのかどうか篤姫に確認してみた
もし御台所になれないのならば、江戸にいること、ひいては斉彬の娘になったことすら意味をなさないので、当然だと篤姫は言うのだ
その後、吉之助は幾島を連れて品川宿へ向かった
吉之助から旅籠「磯田屋」に他藩の者たちぶしばしぱ出入りしていることを聞いた幾島は、内情を探りにきたのだ
幾島は、座敷に入るやいなや、見たことのない笑顔で飯盛女たちに自ら酌をし、他藩の家中の者たちの情報や動向を聞きだしていく
さらに後日、吉之助は斉彬の側近・山田為久とともに旗本の家老らの接待に駆りだされた
吉之助は家老たちに酒を注いでは金子の入った風呂敷を渡し、輿入れの口添えを申し入れる
連日、吉之助が入り浸って騒いでいるとタマから聞いた大山格之助や有村俊斎に詰問されたが、真実を話せない吉之助は狸寝入りを決めこんだ
大奥の最高権力者、本寿院
その数日後、幾島・山田・吉之助の裏工作の甲斐あって、幾島は吉之助を連れて大奥へと赴くことになった
出迎えたのは、家定の母で、このときの大奥の最大の権力者であった本寿院と、家定の乳母・歌橋だった
本寿院は、薩摩からの献上品を携えて大奥へと乗りこんできた幾島の目的が篤姫の輿入れ話だとわかっていた
幾島が太鼓判を押す篤姫なら間違いないと思う本寿院だったが、母親として家定の妻となる者に強く望んでいることがあった
それは家定を残して、先立つようなことだけはやめてほしいという要望だった
先に、家定のもとへ公家から輿入れした2人の正室は、いずれも早世していたのだ
幾島は、篤姫の最もすぐれたところは体が丈夫な点で、そのうえ恐ろしく運が強いことだと答えた
運が強い篤姫ならば、末永く家定と添い遂げられるに違いないと、幾島は本寿院に約束した
後日、本寿院は老中の阿部正弘や、井伊直弼の前で御台所を決めようと考えた
候補の姫君たちの絵を並べて家定に選ぶよう促した
篤姫の絵もあったのだが、家定が指さしたのは、なんと井伊直弼本人だった
そして家定は、庭に下り、倒れているアヒルを抱いた
家定飛ばして庭に駆け下り、倒れているアヒルを抱いた
家定が指をさしたのは、かわいがっていたアヒルだったのだ
やがてそのアヒルが死ぬと、家定は泣きながらわめいた
家定「みんな、なぜ余を残して死んでしまう……。余は、死なない御台所がほしい」
そんな家定に対し、本寿院は体が丈夫で運も強い姫ならいると話し、たまたま家定が踏んづけていた篤姫の絵を指さした
それを聞いた家定は足の裏に張りつく強運な絵を拾いあげ、この姫を御台所に迎えると宣言した
これを受け、阿部はすぐに輿入れの手はずを整えようとし、井伊は異を唱えた
しかし、本寿院に家臣の分際で家定の意思に反対するのかと言い返され、黙るしかなかった
こうして将軍・家定と篤姫の婚儀が、同年12月に挙げられることが決まった
幾島も篤姫も、婚儀の決定を心から喜んでいたが、吉之助は素直に喜べずにいた
吉之助はたまらず斉彬に意見した
家定に世継ぎができないこと、そして篤姫が世継ぎを産むのはありえないことを、本人が知らないまま輿入れさせてもいいのか?
幸せになれると信じている篤姫に、なにも知らせないまま輿入れさせるのは気の毒だ
その発言を聞いた幾島は驚愕した
斉彬は、篤姫には機をみて自分から話すという意向を示した
やがて、斉彬は篤姫を呼びつけると、手ずから茶を点てて篤姫に謝ろうとした
篤姫「今は日本国が立ち行くか滅びるかの岐路ゆえお父上がお考えになることは、すべて国のため民のためであると信じております」
斉彬は、将軍・家定が生まれつき病弱であり、夫婦の営みもできない状態のため、篤姫に子は授からないことを告げた
そして斉彬は、篤姫の真の役目は、江戸城に入って将軍家の跡継ぎは一橋慶喜と決めるよう家定の心に訴えることなのだと打ち明けた
篤姫は愕然とした
母としてわが子を抱くこともなく、大奥に一生を捧げる彼女の身の振り方を詫びて、薩摩のため、日本国のため、覚悟してほしいと訴えた
篤姫「お父上さま……わたくしは、不幸になってもかまいません。すべては国のため、民のため、お父上のためなら、篤は喜んで不幸になります」
篤姫は斉彬の娘になれただけで幸せだと微笑んだ
隣室にいる幾島と吉之助は嗚咽をこらえた
そして、安政の大地震が起きたのは、その夜、同年10月2日のことだった。
安政の大地震とは
幕末の安政年間に日本各地で連発した大地震の総称。とくに安政2年(1855)
10月2日午後10時ごろ、関東地方南部で発生したM6・9の「安政江戸地震」を指す場合が多い
震源は千葉県市川市付近だと推定され、死者4000人以上、倒壊家屋1万戸以上
大名屋敷や幕臣の屋敷のうち約80%がなんらかの破損・焼失被害を受けたという
強い揺れが続くなか、薩摩藩邸に駆けつけた吉之助は、斉彬の無事を確認する、篤姫を探した
そして篤姫を見つけだした吉之助は、倒れてくる家財から守るために彼女に覆いかぶさって全身で庇った
すると顔の近づいた吉之助に、篤姫は遠くに一緒に逃げてほしいと懇願してきた
そんな篤姫の気持ちを吉之助がくみとって逃げようとするが、篤姫は吉之助が気持ちにこたえてくれただけで十分だった
その後、幾島が篤姫のもとに駆けつけると、篤姫は瓦礫のなかから自分で抜けだし、吉之助に感謝して言った
篤姫「御台所となるべきこの身体を、傷ひとつなく、よう護ってくれました……もう下がってよいぞ、西郷」
幾島に肩を抱かれ離れていった篤姫を、吉之助は見送り、そのうしろ姿に深く頭を下げた
しのぶの一言
江戸にきた頃はまだ初々しかった篤姫が2年でずいぶん麗しく立派なっていて、北川景子の存在感に圧倒されました
ドスを効かせたり、お調子者になったりするナンノの幾島も可笑しくてよかったです
そして相変わらずいい人すぎる吉之助。武士なのに泣きすぎ…(涙)
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