「いだてん」足袋の播磨屋(はりまや)は実在するのか?

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第4回では、金栗四三(中村勘九郎)はわらじでマラソン大会に出場したものの、途中でわらじが破けて、最後は裸足でゴールへ走りました。

これに懲りた四三は、わらじに代わる履物を探します。そこで、学校近くの大塚にある足袋の播磨屋を訪れます。

いかにも職人といった風情の黒坂辛作(くろさかしんさく)が対応します。演じるのはピエール瀧さん。

このことがキッカケで、2人はのちにマラソン用の足袋の開発を始めることになるのです。

ところで、この播磨屋というお店は実在するのでしょうか?もしかして、今の大塚にあったりして!

そして、黒坂辛作さんという人は実在の人物なのでしょうか? 調べてみました!



播磨屋(はりまや)の足袋とランナー

播磨屋さんは東京の大塚に実在しました!明治36(1903)年で黒坂辛作が東京の大塚に創業しました。でも今はもうありません。

金栗四三と足袋を改良に力を尽くし、のちに金栗足袋を開発するのも本当の話です。

金栗足袋はほかのランナーたちにも普及し、1936(昭和11)年にベルリン大会のマラソンに出場した孫基禎(そんぎじょん)は金栗足袋を履いて優勝しました。

カナグリシューズとハリマヤブランド

播磨屋は戦後「ハリマヤ運動用品株式会社」となり、国産初のマラソンシューズ「カナグリシューズ」を完成させます。

1953年(昭和28年)、ボストンマラソンで、金栗の愛弟子である山田敬蔵は「カナグリシューズ」を履いて出場し、世界最高記録で優勝します。

ハリマヤブランドも一躍注目を浴び、日本での人気ブランドの地位を確立しました。

その後は、海外ブランドも攻勢もあり苦戦もしますが、体育館シューズでの安定したシェアがあり、ハリマヤブランドは根強い人気を持っていました。

しかし、バブル期に多角経営に乗り出し、バブル崩壊後1987年にその歴史を閉じました。

残念ながら、もうカナグリシューズハリマヤもないのです。

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